毎日16時を過ぎた頃から、そこかしこで見られる周徊。
「周徊」は「徘徊」に代わる表現である。
そもそも徘徊には「意味もなくウロウロ歩き回る」という意味があり、近年は、認知症を発症した人は意味もなく歩き回るのではなく「目的を持って歩き回っている」という見方が正しいとされ、周徊という表現を用いるようになっている。
❝帰りたい❞
❝帰らなければ❞
患者さんから発せられるこれらの言葉の前には必ず何かしらの理由が付く。
入職して1ヶ月が経った、ある日のこと。
❝助けて❞
❝こんな所にいたくない❞
ポツリと呟いた一人の患者さんの言葉にハッとした。
帰る理由があるから❝帰りたい❞のではなく、本音はこの患者さんのようにここから出たいということではないのか?
けれど、ここから出たいという願望を口にすることは出来ず、ここから出るには何か理由が必要だと考えるのではないか?
こう考えるのは私だけなのだろうか?
一日に複数回行われるカンファレンスや申し送りで「〇〇さん、帰宅願望強めです」という報告がされている。
私の考えを述べたところで、示す根拠が無い。
何か発言するには、根拠が必要なのだ。
今日も「帰宅願望強め」の報告を聞いているだけの私なのである。
アラフィフ、今日もそろりと生きてます。