当時、私は実家から神戸市内の短大へ通う学生だった。

 

前日深夜、提出期限を明日に控えた卒業テストの課題を半ば放り投げて、眠りについていた。

 

1995年1月17日(火)5:46

 

突然、体がズンッと大きく沈み、次の瞬間、激しい横揺れに襲われた。

 

その後は、横揺れに縦揺れも混じり、ベッドで寝ていた私はどうすることも出来ず揺られるがままの状態だった。

 

阪神淡路大震災の最初の強い揺れは約15秒続いたとのことだが、もっと長く感じた。

 

後にその時の揺れを「まるで神輿に担がれているようだった」と例えた方がいたが、同感だ。

 

体勢を整えようにも、強い揺れに抗うことが出来ないのだから。

 

揺れが収まり、辺りは静かになった。

 

いつの間にか眠ってしまった私は、朝、「〇〇ちゃん起きて!大変なことになってる!」と大声で叫ぶ母の声で目が覚めた。

 

テレビのある居間に下りて行き、私は言葉を失った。

 

テレビに映し出されていたのは、いつも通学で利用する路線のねじ曲がった線路、横倒しになったビル、何階建てだったのかも分からない程に潰れた家屋、そして、黒煙を上げ火に包まれる街の様子だった。

 

そこから卒業式の日を迎えるまでの記憶は定かではない。

 

同じ学校に通う学生が一人亡くなったことを、卒業式で知らされた。

 

死因は圧死。

 

その日は、たまたま1階で寝ていたそうだ。

 

一瞬にして家屋が崩れ落ち、苦しむことなく亡くなっただろうという話だった。

 

あの日を境に、かすかな物音で目を覚ますようになった。

 

私は、あの揺れを、地震が来る直前のあの音を、テレビに映し出されたあの光景を、そして実際にこの目で見た変わり果てた街の姿を、今も覚えている。

 

忘れようとしたことは、ない。

 

 

アラフィフ、今日もそろりと生きてます。