自発的に携帯電話(auがIDoだった時代)を持ち始めたわけではなかった。

 

24時間、誰とでも繋がっていることを想像しただけで息苦しくなったし、職場の人間と繋がろうものなら終日拘束されるような気がして、持つ気になれなかったのだ。

 

避け続けていた携帯電話を持つに至ったきっかけは、2000年に起きた地下鉄脱線事故。

 

当時、私は外勤をしていたため様々な路線を利用していた。

 

亡くなった方々の中に私と同年代の女性が含まれていたが、母がニュースを目にした時点で氏名は公表されていなかった。

 

その日、母は私の自宅の電話を鳴らし続けたそうだ。

 

夜、帰宅した私は、たまたま鳴った電話を取った。

 

電話の向こうから聞こえてきたのは、安堵した様子の母の声。

 

「心配だから」「お願いだから(携帯を)持って」と、母に懇願されるも、相変わらず持つことに後ろ向きな私。

 

けれど、その後まもなくして、私は携帯電話を持ち始めた。

 

それも親孝行の一つなのだと思ったからだ。

 

 

アラフィフ、今日もそろりと生きてます。