まず、神社仏閣というのは、勧請して来ていただくというパターンと、既に神様仏様がいて、そこに信仰の場を作るというパターンと両方あると思います。古くからの聖地は後者です。天河もその一つです。
私が感じた天河の藝能というのは、まさにお神楽、つまり、神に捧げるものだと思います。天河大辨財天社にはそれが強く残っている。もちろん、そういうところは他にもあります。たとえば、神奈川の大山もそうでしょう。普通のお祭りも基本はそうです。
なぜこのことを書くかというと、弁天様は藝事の神様だけど、本来はご本人がプレイヤーで捧げる方です。今日は感得できませんでしたが、市寸島比売命もいらっしゃるのかもしれません。でも、それは遥か後代に付け加えられたもので、ここのメインの最も古い神様は隠されているのではないかと私は思っています。もともとはこの神様に捧げるものだったのではないかと思います。その奉納のための神様として、弁天様がやって来られたように思うのです。元々は人と近い、弁天様の方が人々には親しみやすかったのではないか、と考えます。
古代の文化がどれだけ入っているのかは定かではないですが、天河の五十鈴はどう考えても天河由来のものではなく、私は遠く中東にその本はあるだろうと考えています。時期的には、市寸島比売命が祀られる前の時代に入ってきたもので、そういうものがもたらされる前に、天河の神様はそこにいらっしゃったと考えています。
吉野は天皇家とも深い関係にありますからね。まだまだ明らかにされてないこといっぱいあるんだろうなと思います。私にとっては天河のメインの神様はまだ分からずじまいです。それを想像するのもまた楽しいものです。
もう一つ考えなきゃならないのは、男女の性差という問題でしょう。山の麓の天河に市寸島比売命という女神が祀られるのと、他方で大峰山は現在も女人禁制の修験が残っています。このあたりのことも古代から中世あたりを考察する上で大事そうです。
とりあえず思いついたことだけ。