誠意を求めるとは | 探求

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日々の身体と心の動きを観察する日記です

昨日、まさよさんが今までの経緯をエントリに書かれました。リブログしてコメントしたいけれども、そういう仕様になっていないので。イレーネさんのところの関連記事にリブログしてもいいけど、もう事態も終息してきたので、ここでこっそり書きます。

 
今回のエントリで何が起きたのかはっきり書いたのは良かったと思います。今までのものではネットワークビジネス自体をターコイズさんがやってるかのような印象を与えかねませんから、そこははっきりさせたのは良かったですね。はっきり書かないことで、彼女に余計な風評被害を与えかねないリスクがありました。ツアーの話はツアーの話、同時期に起こってるとはいえ、二つのことは金銭という共通点があったとしても、それ自体は全然関係ないことです。これを抽象的に書けば混同されるのは当たり前です。
 
まさよさんは信じられないと思いますと驚かれてますが、この程度のことは世間ではよくあることで、別に不思議ではありません。ねずみ講などにがっつりハマり、そして人を巻き込んでいく人は、主観的には誠意でやっています。というよりも、本気でなければ、人は騙されない。東日本大震災の被災地で活躍していた地元の人がいて、その彼とは私は今でもまったく遺恨がありませんし、機会があれば全然語り合えますが、彼は震災前からねずみ講をやっていて、経済的に苦しい被災者を助けるために本当に真剣にその仕事を勧めていました。私にも熱っぽく語ってくれました。もちろん、町の人も知っているのでほとんど相手しないのですが、私はこと誠意とか、真剣さとかいう点においては、彼を疑ったことは今に至るまで一度もありません。オレオレ詐偽(今は名前が違いますが)みたいな、最初から騙してやろうという詐偽とは性格が異なるんです。そういうところに「もっと誠意を」と言っても、これは絶対に分かりあえません。
 
というか、ある正しい方向があって、そうでなければならないというのは、それ自体転落への第一歩なんです。私はツアー案件に関しての経緯を読む限りはおかしいと思っているし、あの頃のターコイズさんがブログに書かれてることにも疑問に思うことが多かったけど、まさよさんのようにそれに対してなお誠意を求めるのは、意味がないと思います。それに、ターコイズさんのおっしゃってたことのなかにも、正しいことはあったと思っています。何より、私は私がターコイズさんから受けた誠意、ファーストを受け終わって見送ってくださっていた彼女の姿は紛い物であったとは思わないし、その全てに誠意がなかったとも思っていません。
 
ただ、今回の一連のことで、地獄の釜の蓋が開いたなと思っています。ターコイズさん個人の問題なんて、氷山の一角で、声明文まわりのことで不安を持っていた方たちがいっせいに動き出す結果になりました。それはそれで次の段階に行く大事なステップなのだろうと私はみています。