意地を張り続けてきたこと | 探求

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日々の身体と心の動きを観察する日記です

私は今、いろいろと縁あって、不登校の家族と関わったり、また不登校そのものを考えたりする機会があります。

でも、私には実はよく分からなかったんです、ずっと。不登校になるのってどういう気持ちなんだろうって。それは私が不登校から遠いところにいたからじゃなく、実はもっとも近いところにいたからこそ、それを一番考えたくなかったのかもしれないと今は思います。

私は関東の私立中学校に通っていたんですが、その学校というより、私自身や家族にもおそらくはいろいろ問題があって、その頃は本当に辛かった。そのうち、3年生になって、クラスでいじめられるようになりました。毎日、学校が火事でなくならないかなと思ってましたよ。でも、1日も休まなかったんです。両親がお金で苦労して通わせてくれてることも分かってたし、何よりクラスメイトたちに屈服するのも嫌でした。私の人生で本当に皆勤賞だったのは後にも先にもその3年間だけでした。卒業式の日、手違いで記念品が私たちの代だけもらえなかったんですが、それもまた当たり前のような気がしました。エレベーター式で高校にあがって、些細なことで簡単に休みました。クラスのなかで中3も同じクラスだった子が驚いてました。もう良かったのです。中学には1年から不登校の子がいて、腫れ物を触るように扱われていました。ああなるのは嫌だというのもありました。

さっき道を歩きながらふと、もしあのとき不登校という選択肢を私がとっていたら、どうなってたんだろう。きっと今とはまったく違う人生があったんだろうなと考えたんです。こんな風にその後もずっと意地を張った生き方はしなかっただろうなと思います。まあ、でも、今は自分の人生は割と気に入っています。子どもたちにも、大人にも、私は自分のような生き方を勧めたことはありません。

10代もインチャイ(使ってみたかった!)に入るなら、いっぱい傷ついてきたんだろうなと思います。でも、声をかけるとすると、あのときは休ませてあげられなくてごめんねというよりは、よく頑張ったな、エラかったぞって言ってあげたいかなあと思います。

いろんな方のブログを拝見しましたが、自分ごとになると、難しいですねえ。私は人の懐には入りますけど、自分はずっと線を引いてきました。そういう距離感も壊せるといいなあと今はしみじみ思います。