健全な不安 | 探求

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日々の身体と心の動きを観察する日記です

20代くらいの若い人と話していると、自信がないという話を聞くことがママあります。しばしば人はどうやったら自信がつくか、答えてしまいがちなんですが、私はわりと不安なままで良いのではと思うのです。

若い頃の不安は経験不足から来ることも多いんですが、若い頃ってまだ理想をちゃんと持てているので、その理想と現実の間の葛藤で、不安になったりします。でも、その不安って健全なものだと思うんです。年月が経つと、経験が増えて自信がつく場合もあるけど、いつのまにか現実に埋もれて、理想との距離で悩まなくなったり、単に繊細さがなくなって、図々しくなるだけだったりするわけです。

こうやって書くと、年齢が大いに関係してるように見えると思うんですが、実際の年齢はそこまで重要じゃないんです。世阿弥の初心忘るべからずという有名な教訓があって、その秘伝の二つ目は、時々の初心忘るべからず、三つ目は老後の初心忘るべからずです。時々のというのは、人生にはそれぞれの段階があって、その段階はいつも初めてなんです。そして、初めてはいつも不安が伴います。でも、世阿弥は慢心するよりも、その不安を振り払うような努力を続けることを強調するんですね。

人とのコミュニケーションっていつまでも相手のことを理解してないんじゃないかという不安が付きまとうと思うんですが、基本的にそれもまた健全なことだと思うんです。相手のことを理解したいという気持ちが強ければ強いほど、不安も出てくるし、それは理解しようという意欲の表れでもあるので、コミュニケーションを取るためのエンジンでもあるんじゃないかなと思います。

ネガティブな感情はよく悪いものととらえがちですが、それも付き合い方次第じゃないかなと最近は考えています。