聴くということ | 探求

探求

日々の身体と心の動きを観察する日記です

商売柄、いろんな子どもたちの勉強を見ることがあるんですが、彼らを見ていて、多くの子どもたちが勘違いしているなと思うのは、勉強が出来るかどうかは頭の善し悪しだと思い込んでいるところです。実は、試験の点数を上げること自体はそんなに難しくありません。はっきりいうと、頭が悪くても、それなりに点数を取る方法というのはあります。だから、一番、重要なことはそこではないのです。

 

何がつまずきの原因かというと、それは人の話を聞かない、ということに尽きます。ただ、この人の話を聞かないというのも、それを突き詰めていくと、本人が話を聞いてもらった体験がなかったりするので、人の話を聞くということが出来ないのです。これは人間の基本的なコミュニケーションの問題です。そして、往々にして人の話を聞かないのは学校の先生であったりするので、なかなか悲劇的ですね。

 

もうちょっと掘り下げていくと、人の話を聞くのは、事実レベルと感情レベルがあります。よくこれは男女の違いで説明されますが、おそらく男女というより、もう少しいろいろなパターンがあります。20年くらい前に流行っていたエニアグラムなんかもそういう話でしたね。ドライに事実は事実、テストを取るための必要な情報を切り分けて処理できてしまう人は、結果的に試験も出来てしまうし、おそらく世間的には頭が良いということになるのでしょう。ここを切り離せないというときには、その事実をそのまま受け入れるには過酷すぎる経験をしてきたことが背景にあることも少なくないですね。でも、そこを乗り越えればこそ、人の痛みを理解しながら、なおかつそれを超越してものに向き合えるようになるのでしょう。

 

もちろん、試験をとりあえず取れるようにして、自信を取り戻すということがあっても良いと思うんですよ。でも、それはあくまでも短期的な対処療法であってね。長期的には、人間の信頼関係を作っていくことが大切なんだろうと思います。