「暴れん坊将軍」はむろん創作である。
8代将軍徳川吉宗は、紀州藩出身。
4男として生まれたため本来は部屋住みであり、つまりは紀州藩すら継げる立場になく、越前国葛野藩3万石の藩主となかった。
しかし、父、2人の兄が相次いで病死、一躍紀州藩主となり、さらには10年後、これまた7代将軍徳川家継が病死、御三家筆頭の尾張家を差し置いて徳川宗家を継ぎ8代将軍となった。
将軍となった吉宗は、前将軍の側近であった新井白石や間部詮房を罷免し、極めて公正な政治を行う。
その政治姿勢は口うるさい大奥にすら支持され、財政難に苦しんでいた幕府の中興の祖と言われる。
一方で、吉宗は紀州藩でも実施していた目安箱を江戸でも設け、庶民の意見を取り入れて町火消を創設し、また庶民の療養施設である小石川療養所を設置した。
また裁判の基準を明らかにするなど、まさに聞く耳を持った将軍である。
これを享保の改革という。
二人が嵯峨野にいたころ、当時の竹下登内閣に対し、リクルート事件などの政治的姿勢に対する批判が強まっており、次の宮沢喜一内閣で自民党は下野し55年体制が終了する。
日本戦後史の中でも激動の時期である。
そんな時期に嵯峨野で徳川吉宗の話をした。
「今の政治家たちと大違いですね」
アナウンサーである天女さんはこのテーマにも興味深そうだった。
「時代が違うので比較は難しいですよ。選挙もないし、、」
「あっそうか、そういう視点は大切ですよね。マスコミにいるなら大事にしたい視点ですね」
「そうですね。歴史は想像ですから、、」
天女さんは手帳に、
歴史は想像
と書き、大きく丸で囲った。
「なんだか感動します、結城さん凄いです。歴史的な視点、想像、、思いもしませんでした」
(続く)
✴︎この話はフィクションです。
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