多死化社会の希望 | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

まずこの表を見ていただきたい。

日本の年間死者数は2000年以降、急激に増え続けている

実はこの統計は、2030年には1,500,000人の方が毎年亡くなり、さらに増えるのではないかと考えられている。

この1,500,000という数字がいかに衝撃的かは、太平洋戦争の末期の死者とほぼ同等の数値であることだ。

つまり日本では戦争もないのに、また衝撃的なパンデミックでもないのにこれだけの方が毎年のようになくなっていく時代がこれから訪れるのである。

さらに少子化がさらに進めば、可能性としては毎年のように100万人単位で人口減少が進む。


生徒と少子高齢化社会のことを対話していると、私は必ずこの「多死化社会」の話をする。


つまり今後は少子化と多死化が同時に起き、人口が急激に減少していく時代に入るのである。


少子化がもう解決する事は無い事は多くの人が理解をしていることであろう。

少子化対策は、もう20年以上莫大な国家予算を注ぎ込み行われているかもしれないが、残念ながらほぼ解決は無い。

そこに多死化が加わる社会の中で、新しい世界をどう創り上げていくか、それを生徒と対話するのである。


ほとんどの高校生は少子化対策が実効性がないことを話してくれる。

それは肌感覚かもしれないが、もう少子化が解決するような社会が訪れるとはないと高校生も思っていない。

しかし多死化社会が訪れることは、どうもピンと来てないケースがある。


こうした対話は、過去の事実を暗記するより何倍も意味があるのではないか。

それは過去ではなく、未来の世界をより良いものとして創造するのは彼らだからだ。


こうした対話の中で調べ学ぶ知識とは、暗記とは異なる。

だからこそ、忘れてしまうことなく教養となり

また次の対話のなかで登場するのである。


少子化、多死化社会は大変な社会だが、こうした思考を持つ若者が増えた社会には希望がたくさんある。

そんな社会で生きていく若者が、こんな対話をしていると、なんとも羨ましくなる。