昨日は東京の学校に通う高校3年の親子とオンラインで、日本史と面接について話をした。
今や日本史であろうと、小論文であろうと面接でやろうと志望理由書を教えてあろうと、全国の様々なところからオンラインでのご質問や指導への要望がある。
なんとも凄い時代になったものだ。常識だけで考えていたらとてもじゃないけど対応ができない。
高校生の方はとてもポジティブで、前向きな明るい良い生徒さんだった。また保護者の方もとても熱心で、極めて印象の良い方で、気持ちよくお話を聞いてくださる方であった。
とても素敵な親子だった。
日本史は、いつものことだが、どこが大事とか流れが大事とかといったことではなく、どういう方法でトレーニングをしたら良いかと言う事についてお話しをした。
日本史はどうしても覚えるしかないと思い込んでいることが世の中では多く、それは指導者ですら根性論的な覚えるのを繰り返している。
それでは全く指導者の存在意義は無い。
昨日はかなり幅広い範囲の中からどう勉強するのか、どうトレーニングするのか、そのトレーニング方法にはどういう意味があるのか、さらにそれはどう結果に結びつくのかといったことを論理的に話をさせていただいた。
その感想は今までの常識が大きく覆ったと思う。
面接については、どうしても相変わらず演劇面接になり、ただただマナーを重視すると言う不思議なものになったり、さらには嘘や盛るが横行している。
就職の事や部活動のことを一生懸命話すなど妙なことになっている。
本当にどうかと思う
昨日もそうではなく面接のあり方はどうであることか、そのためにはどうしたら良いのか、さらに本質的に自分のやりたいことを深めるための対話の仕方などをお話しさせていただいた。
特に自分の研究領域や将来構想についての深め方は面接において非常に大切なことである。
それは対話でしか深めることができないことについてもお話をさせていただいた。
また、単に大学の先生の本を読めといった短絡的なことではなく、専門分野、さらにその周辺の書籍のご紹介をさせていただいた。
おそらくお話をさせていただいたことについての感想は、今までの面接の常識が大きく覆すだと思う。
疑問を持ってよく考えればわかることだが、昔からそうだからとか、それしか方法がないと思い込む事は、新たな考えを生み出すこともなく進歩を否定することになる。
ネットに載ってたからそれしか正しい方法がないはずとか、それも同じことであろう。
もちろんどの方法を選ぶかは本人の自由であり、こうしなさいだとか、ああしなさいと言って強制することは極めて良くない。
大切な事は選択肢を持てることだ。
昔からこうだからとか常識で後だからといって選択肢が一切ないと言う状態こそ、多様性を否定することにもつながる。
いつも言うことだが何事にもまず疑問を持つことであろう。
そうやって考えれば日本史には暗記しか勉強するやり方は無いだとか、面接にはマナーをきちんとやらなきゃいけないと言うことにも疑問を持っているはずだ。
つけるところオンライン指導の広がりと同様で、常識に縛られていたら何も変わらないと言うことだ。
これからの時期は面接が多くなる時期だと思う思う。
くれぐれも面接と言うものがこういうものだと思い込んで、ただひたすら解答を暗記して練習をするような演劇面接にならないことを願うばかりである。
同時に東京の高校生の未来が上がることを心から願っている。