大学入試の面接で、しばしば圧迫面接だったという話がある。
そもそも圧迫面接とは何か?
いわゆる教科書的な模範回答に終始する受験者の「本音」を見るために行われる。営業職など、仕事上不特定多数の顧客や取引先に応対する必要のある業種において、クレームや要望にきちんと対処できるかどうかを見るため行われることが多い。
アメリカ企業において考案された面接方式であり、それが日本を含めた各国に輸出された
さて、大学入試の面接とは、何を目的に行っているのだろうか?
どういった人材を見極めるために行っているだろうか?
こうした疑問から解き明かすと、そもそも大学は、「営業職」などを求めていないし、「クレーム対応能力」も求めてない。
大学は、「学問」をする仲間を求めているのである。
しばしば、このように就職面接と入試面接を混同するケースは少なくなくい。冷静に考えれば面接官の個人的な性格を除き、高校生である受験生を大学が圧迫するだろうか。
では、さらにどうして混同するのだろうか?
大学は、専門領域への探究心や、学問への情熱を問いたいわけだが、その部分を深めることなく「演劇面接」の練習ばかりをしていれば、学問的により深い質問などに答えることなど、できる可能性は低い。
すると受験生はこう思うのである。
圧迫された・・・
そもそも、そうではないのである。
面接以前の段階で、経済学、歴史学、医学、といった学問領域、さらにそのなかのより詳細な分野について、本はどの程度読んでいるのか、少しは論文を調べたのか、さらに自主的な探究はしているのか、、、、、
そうしたことがまったくなく表面的な言葉を並べれば、当然ながらその言葉は「上滑り」をし、面接官は確認の意味もこめて、より深く問いたくなるのである。
そして圧迫面接だと受験生が思うのである。
まずは面接練習の前に、自分の学問領域について深めよう。
その際に絶対に必要なことは「対話」である。
志望理由書でも同じであるが、「添削」で、学問も思考を深まらない。
信頼できる指導者と、自分の進みたい専門領域について時間をかけて徹底的に「対話」しよう。
むろん、その分野の著作や論文にも目を通す。さらには新聞やニュースの関連のあるものに長期間関心を持とう。
当たり前の準備である。
そんな大変なことできない・・・・
そう思うのであれば、そもそも面接の入試を選ぶべきであり、だからこそ、
面接の準備は1か月はかかる
のである。