57歳になって | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

昨日、2月14日は誕生日でした。

57歳になりました。

 

返す返すですが、なんとも情けない未熟な57歳であり、社会の多くの57歳が定年後のことを考え始めるのですが、これからどうやって挑戦して、どうやって自分の志を実現するか、試行錯誤しながらようやくスタート地点です。

 

最近は、老眼は進み、記憶力は低下し、短気だし、体の動きもどんくさくなっています。

かっこ悪いことこの上なしです。

 

これからの1年は、いかに「自分の欲」ではなく、「他者のため」「社会のため」だけにエネルギーを使うかを考えていきたいと思っています。

娯楽や休憩などに興味はなく、ただただ自分の志に殉じていきたいと思います。

 

いまからちょうど100年前、原敬内閣の海軍大臣加藤友三郎はワシントン会議に全権として出席し、盟友の原敬はすでに暗殺されていましたが、海軍軍人の反対を押し切って、日本海軍最初の軍縮に踏み切りました。

しかも彼の身体はすでに病魔に犯され、帰国後、総理大臣に就任したものの在任わずか1年で死去しました。

ちなみに軍人としては薩長出身以外の最初の総理大臣でもあります。

 

ワシントン会議の最中、かれはこのように言っています。

 

「国防は軍人の専有物にあらず。戦争もまた軍人にてなし得べきものにあらず」

 

そしてその聡明さは、各国首脳から「アドミラル・ステイツマン」(政治家としての一流の海軍提督)と称賛されたものです。

 

その加藤友三郎が亡くなったのは62歳。

私の5歳年上であり、私もこれからの5年間を人生の勝負の時期と考えています。

 

加藤友三郎には同期生の島村速雄海軍大将や総理大臣の原敬といった志を同じくする良き仲間がいました。加藤内閣の陸軍大臣の山梨半造は陸軍最初の軍縮を実現し、外務大臣内田康哉はいまなお在任期間最長の外務大臣です。

 

こうした多彩な人々とともに、かれは軍人として軍縮を行ったのです。

 

私は、

 

「教育は学校の独占物ではなく、家庭や社会の諸団体、個々の人々が力を合わせて行うもの」

 

と思っています。

 

むろん、常識を変えることは容易ではなく、学校教育の常識である画一的で単方向でアンチクリティカルな日本の教育を変えることは容易ではありません。

 

それでも、日本の教育を変え、本当の意味にで自由で自分らしく生きていける社会を構築し、世界から戦争や差別をなくすという志を忘れることなく、これからの5年間を過ごしていきたいと思っています。

 

そんな私の志に共感できる方がいれば、年齢や性別にこだわらず、ぜひ一緒に仕事をしましょう。

そんな仲間を待っています