さっき、ふと立ち寄ったコンビニで募金を集めてました。


海の向こう、中国の四川省大地震への義援金でした。




その昔、とある人がその当時付き合っていた彼女に、「誕生日になに欲しい?」って聞いたら、「考えておく!」と答えました。



数日後、彼女が持ってきたのは、アフガニスタンの子供たちへ送る募金の振込用紙だったそうです。


「私に使うお金を、ここに使ってあげて。そうすればアフガニスタンの何百人の子供たちへ、病気のワクチンを届けてあげられるから。」と。



そんな話を思い出しながら俺は、財布の中にあった残り一枚の100円玉をその募金箱へ入れました。


この100円で何かが変わるわけでもないけれど、例えば自分が同じ出来事に遭遇したとき、誰かの助けをきっと求めてしまうだろうと思う。


というか、助けがなければ誰も生きては行けない。


それは日常生活でも同じだろうと思う。


別に募金が全てではないし、要は、今起きている出来事にどのくらい関心を持つかだとも思う。






中国ではすでに、1万人以上の人が亡くなり、多くの人が未だ自分の存在を知られないままであり、それ以上に多くの人が住む家さえも無くしている。




一人でも多くの人に食べる物を、着る服を、住む家を、そして愛する人との再会を。





結局は、




サマンサタバサのバッグなんて買ってあげている場合じゃないということだ。



一日も早い行方不明者の救出と、街の復興を願ってます。