大学に入って、最初にしたことは、

パソコンを使えるようになることだった。



当時の私にはパソコンはコンピュータ室に

あるもので、特別な時に使うというイメージ

だったが、大学で提出するレポートは基本的

にはパソコンで書くのだとオリエンテーション

で伝えられた。



パソコンが使えない学生は、ブラインドタッチ

ができるようになる練習用ソフトを受け取り、

ひたすら練習した。



1週間ほどでだいたいみんなできるように

なっていた。



私は、兄の大学もそうなんだろうかと

思った。



今まで兄がパソコンを使っている所を見た

ことはなかった。



私はローマ字うちをしているが、兄が

ローマ字を理解しているとも思えなかった。




講義も高校生までの様に、決まってはおらず

自分で時間割を組み立てなければなら

なかった。



私はゼミが同じになった子達と一緒に決めた

が、兄はどうしているのだろうと思った。



兄が1人ぼっちでわからずに、周りを

キョロキョロして、焦ったり落ち込んだり

していたのではないかと思うと、なんだか

胸が締め付けられる気がした。






大学生活が始まると、毎日、母から電話が

かかってくるようになった。




私を心配してくれているのだと思って、毎回

出ていたが、母は私の話を聞きたいわけで

はなさそうだった。




母の話はずっと、祖父母(父の両親)や父の妹や

父の愚痴だった。


父が祖父母のことで言うことややることが気に

入らない。父の妹が何もしない。


父も父の妹も実際は何もしないくせに、文句

ばかりつけてくる…という内容だった。




母は大変だったと思う。

一生懸命に頑張って介護もしていたと思う。




でも、私は母ではない。


母と同じ目線では見れない。




うんうん。と聞いていたが、すごくすごく

苦痛だった。



足をジタバタさせたり、天井を見たりして

なんとかやり過ごしていた。



母に一度、



もっと父と話し合えばいいんじゃない?



と言ったら、



あんたには何もわからない!

あんたはいつもお父さんの味方ばっかり

して!

そっくりだもんね、お父さんと!



と電話を切られた。




しばらくは電話をかけてこないが、2.3日

経てば、何事もなかったように、また電話を

してきて愚痴を言い続けた。




そして、毎回最後には、




元気なんだね?

それならよかったね。

頑張るんだよ。

応援しているよ。




と言った。



私はそれが聞きたくて、

電話にでていたのかもしれない。