姉の遺品整理には行かなかった。

最後にあんな手紙を叩きつけられて、祟られるんじゃないかと思ってしまって...それに姉の部屋に残っているものを見るとまたいろいろと考えてしまいそう。前の私なら、最後だから!って、それでも見に行っていたと思う。線引きできるようになったのかも。



火葬後に散々な仕打ちがあり、


「私は傷ついた!ぴえん🥺」


と憤慨していたけど、別に傷ついていなかった。

姉はそう言う人だったんだわ。



姉とは歳が離れていて、私が小学6年生のときに姉は二十歳だから、長らく半分一人っ子のような感じだった。歳が離れた姉は言動が強く、奇抜と言うか、少なくとも私の周りにいる穏やかな人たちとは違い、そんな姉に違和感のようなものを抱いていたけど、8歳も離れていると「大人ってああ言う感じになるんだなぁ。」と別世界を生きている大人に見えていた。


そして今また半分一人っ子のような状態に戻ったんだけど、「なんだか強烈な姉がいたな」って言う私の人生の一部が過ぎ去って行ったと言う事実だけが残っているような感覚。



お葬式ができなかったから四十九日はちゃんとやりたいと思っていたけど、諸々明るみになった後は四十九日になる前に、もういいかな...と大分白けていたし、法要をやりたがっていたのは私だけだったこともあり、当日は親族で集まって食事をするだけとなった。



私の友達は皆、私が姉と仲が良かったことを知っているし、花や香典を贈ってくれたり、線香を上げに来てくれたりしたけど、姉の友人は姉が積極的にお知らせをしたがらなかったこともあり、誰も弔問に来なかった。



母はと言うと、だいぶ特殊な人なので、一度も涙を見ておらず、姉が亡くなった当日も通常通りに卓球に行っているし、そのまま通常運転。だけど全く使っていなかったiPhoneをまめにのぞいて、私が入れてあげた姉の写真を1日に何度も見ている。


鈍感な母はあの手紙も大切に仏壇の近くに飾っている...。読んでも何も感じないみたい。


遺影を手元に持ってきて眺めていることもある。


「Meewも見る?」と言われるけど、闘病中のさまざまな暴言があったころの写真で、拒絶反応で直視できない。同じく拒絶反応で線香も上げられなかったけど、四十九日あたりで儀式的に何度か上げられるようにはなった。タイに帰る日も一応、恨まれたくないって言う気持ちから、線香を上げてから家を出た。



3ヶ月ぶりにタイに戻ってきたら、家が荒れ放題...。翌日は一日中掃除洗濯。



久々に友達にも会って、鼎泰豊に行った。


器大きい〜 小籠包美味しかった



姉の話をすると

「聞いてるだけでメンタル来る...ガーン

と皆寄り添ってくれる。


最後強烈だったんだけど、ま、姉ってこう言う人だったなと思うところあるし、唯一無二の存在である姉がいて良かったと思うことには変わりはない。(多分)


結局相続については開示に時間がかかるそうで、行方の見守り継続だけど、タイに戻ってきて気持ちを切り替えてやってこうと思う。







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