【ドキュメンタリー】イマジンから 辿る わたしの記憶 | 長谷川希オフィシャルブログ ママのしあわせ♪家族のしあわせ♬ よい循環

【ドキュメンタリー】イマジンから 辿る わたしの記憶

イマジン/ジョン・レノン 特別版


長いっす


・・・・+・・・・+・・・


いま10年後のビジョンを描いていて

フローチャートに落として
夢に日付をいれて
お金のイメージをつけて

ってのをやっていて(まあ、できるとこまでね)
(これもちょっと 変えてみた
  長谷川希の人生ダイジェスト

いままで ためていたスクラップを見直してみたら
オノ・ヨーコさんの 切抜きが結構あることに気づく

数年前に現代美術館に 足を運んだYESオノ・ヨーコ展
グレープフルーツとか 彼女の詩集を読んだ時期があったことなんかを
思い出して

『イマジン』(ジョン レノンのドキュメンタリー)を
ふと見てみたくなった


日曜日から、英語と日本語で繰り返しみているのだけど


ふと

16歳のときに 自分が 突然 地球人になろうと
思ったことを思い出した

将来の夢を考えていて
具体的な職業は 学校の先生くらいしか思い当たらなかったのだけど

(いまみたいにネットはなかったし、おかんに読書やテレビを
 結構禁止されていて、想像力が働かないように管理されていたから)

そんな時代の ひらめき  




  そうだ 地球人になろう




当時通っていた塾の 受付でメガネをかけた男性の先生と
話しているときに ふと おりてきた ひらめき


それから
地球人ってなんだろうって考えて


世界をひろく捉える そういう方向へいこうと決めたんだ


単純に 国際関係だ!みたいな(笑)


自分は怠け者だってしっていたら 結構きびしく宿題とかもあったり
寮があって 生活をみんなと共にできたり
外国からもいっぱい人がきていて 留学もできて
授業も少人数で ひとりひとりの顔がみれるところがいいって
おもった

そういう観点で大学を調べてみたら・・
行きたかったのは ICU 次に 津田塾だった

世界史と英語はいるなと
思ったけれど

あとはいらない気が勝手にして
いちばん得意だった 数学をやめて
勝手に 国立文型志望から私立に変えたら おやじにめちゃくちゃ
怒られた

ばかかって

だって 当時 世界史は60点くらいだったし
英語も 全然できなかったから



私大をうけたいなら 法学部じゃなきゃダメだと言われたっけ

高3のときは既に浪人する気 満開だった
当時つきあっていた塾のせんせい(塾の卒業生)と
受験のついでに東京でデートできるってんで 浮かれまくっていたから

その先生が 毎回受験についてきてくれた(笑)
これはデート以外のなにものでもないからね~ 蜜月っすよ。


まあ、親も一度東京に彼氏に会いにきたよね 
挨拶と釘をさしにね(笑)

わたし親が抱いているほど よい子じゃないってことを
わかってもらうために つきあっている人のこととかしゃべりまくっていたからね
まあ、長年かかってその成果は出たけどね~
諦めたっていう説もあるけど・・


高3の受験のときは
あるふぁーふぁだそうと、彼のことを思い浮かべてニンマリしていたら
よだれをたらして 眠ってしまって 試験どころじゃなかったり(バカだ)

もう浪人あたりまえ~ むしろ憧れていた なぜか(笑)


浪人受験(2回目の受験)では
普段たべないお洒落なもの(キッシュ)とかを東京で食べて
食あたりで倒れ(笑)かつインフルエンザになって?
病院に運ばれて、点滴をうって
死にそうになったり

もうそれは悲惨・・
ちょうど、ICUにおちて津田塾がうかったと通知がきていたらしく
オトンはもっと偏差値の高ところに行ってほしかったみたいだから

おかんと打ち合わせて
内緒にしておく予定だったようなのだけど、おかんが
うっかり私にしゃべった

それを聞いて わたしも、あ~ もういいやって思った
ICUに物凄く行きたかったから

 結婚は2番目にすきな人とするといいってのがあるけれど
 わたしは いやだな
 結婚も いちばん いいと思ったひととしたいし
 いちばんと ご縁がなくって ものすごく 凹んだ

  まあ世の中 相互関係で まわっているから結局は
  そのなかでの いちばんを 選んでいくんだけど・・

 なんか もう 世界が終わったかも・・みたいなきもちだった


滑り止めもいくつか受かっていたし もうそこで体力がつきて
基本受験は打ち止めとなった
(つまり法学部ゆきはなくなった・・  ばんざ~い☆)



なんか書く予定のないことまで
書いてしまった・・

さて。

それから 恋に バイトに 社交に インターンに 
国際交流にあけくれて
(結局あんまり机に向かって勉強はしなかったけど、
 トップスピードで駆け抜けて(笑)倒れるくらいまで色んなことを
 経験し尽した・・)


大学を卒業するときに 
たしか(21歳か22歳) ニューヨークへひとりで 行ってみようと
おもった。

セントラルバークの ダコタアパートにも行ったし
ウォール街もあるいてみたり
9・11でなくなった当時のワールドトレードセンターにも
国連にも行った。



国連のまえで 涙が あふれた。

わたしの当時の 憧れみたいなものだったから

ちきゅうじん の象徴みたいなイメージだったから

でも どこかでなんか違うなあ ~というきもしていた

とにかく もう一度 きっとこの場所へもどってくると
おもった

国連そのものではないかもしれないけれど わたしのなりたいと
思ったもの 地球人というところへ

当時いちばん やりたかった仕事は
世界不思議発見の ミステリーハンターだったのだけど
どうやってなっていいのか分からなかった

ミステリーハンター大御所の 竹内かなえさんのお話も
聞いたけれど、たしかラジオ番組なんかをやっていて
そこから抜擢されたとかそんな感じだった

  そういえば
  怪しげな芸能事務所の社長さんに声を掛けられたなあ
  確か病院で(笑) きみはワイルドな役ができそうだ~って
  病人のわたしにですよ!?  NHKの裏で待ち合わせって
  ことになって(何故にうら??)なんか変かも~と
  思って 直前でブッチした  ごめんなさい。 
   それからかかってくる電話にも怖くて出れませんでした。

  どうもその人からは 当時はミステリーハンターにつながるとは 
  想像できなくて そのおっさんと心中するよりは
  大企業にはいろ~と思ったっけ


まあ どういうわけか 経済のけの字もしらないわたしは
グローバル経済前線の 最先端へ 送りこまれることになり
経済(企業の営み)という新しい視点を授かり 

そこから機が熟して、ついに脱出してさまよい ・・・

自分のルーツ(家系のルーツを1年半かけて辿り)
また いまこうして 走馬灯のように 自分の感じてきたことを
思い出している


とりとめもないけれど
書いておきたかった (そのうち消すかもしれないけれど)

おもしろいな

人生ってムダはないのかもしれない





読んでくれて ありがと~


・・・・・・・・+・・・・・・・・+・・・・・

イマジン

Imagine there's no heaven
it's easy if you try
no hell below us
above up only sky
imagine all the people
living for today...

Imagine there's no countries
it isn't hard to do
nothing to kill or die for
no religion too
imagine life in peace...

Imagine no possessions
I wonder if you can
no need for greed or hunger
a brotherhood of man
Imagine all the people
sharing all the world...

you may say I'm a dreamer
but I'm not the only one
I hope someday you'll join us
and the world will be as one