愛の民族 ★ <心理テストつき> | 長谷川希オフィシャルブログ ママのしあわせ♪家族のしあわせ♬ よい循環

愛の民族 ★ <心理テストつき>

う~ん、このタイトル。
我ながら、らちょっぴり哲学の香りがするわぁ(笑)。

実は「愛」について面白いなと思ったことがあって。
『独特対談』の後藤繁雄さんと宗左近さんの対談で、
縄文は「愛の神様」というフレーズと出会いました。
(*宗左近さん:1919年生まれ。東京大学哲学科卒、詩人。)

その対談をまとめてみると・・

歴史で習った縄文人。
かれらは、紀元前1万年前から紀元前三百年まで日本で生活していた人たち。
(なんとなく、習ったなあ~と思い出してみましょう^-^)

その後、大陸からやってきたのが弥生人。
発生地も神様も全く違う民族を「異民族」と定義すると、
「縄文人」と「弥生人」は「異民族」ということに。(同じ日本人なのに不思議だけれど)

「縄文人」は狩猟・採集・焼き物つくる「自然人」、
「弥生人」は稲作、金属製品をもつ「文明人」でした。

今の日本史は、弥生人の歴史で、縄文は国の教えてでもずっとタブーだったそうで、
万葉集は弥生の神話世界を投影しているけれど、そこに登場する神様は、単なる
グレート・パワーであって、愛じゃない。雲を愛したり、魚を愛したりという縄文人が
もっていたものとは全然違うんだそうな。

そういう意味で、弥生は「知」の神様で、それに対して縄文は「愛」の神様を信仰して
いたといえましょう。

日本には国宝に指定されているものが二千数百点あるそうですが、そのうち縄文は
なんとゼロだとか。
縄文時代・・・それは、価値観の定まらない時代ともいえそう。

自然がたくさんあって、自然からの愛を感じて生きていた人々・・・
だから「愛」の民族なのかもしれない。


そんな風に、縄文人が「愛」の民族だなんて思ったこともなかったから
ちょっと新鮮な驚きがありました。

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実は最近、私に一通のメールが届きました。
それは、

「今突然あなたが、<愛>という存在になったら何をしますか?」というもの。

ちょっと考えてみて下さい。。
う~ん、愛ってなんだ~?っていう素朴な疑問やら、質問の意図がよくわかり
かねると思うけれど(私もこのメールをもらった時はそうだっだもの)
一度自分なりに考えてみて下さい。

で、その回答をメモするなり、言葉にするなり形にしてみて。

続いて。

「じゃあ、愛の読み仮名が変わりました。なんと読みますか?」

これも、是非みなさんに挑戦してもらいたいな。
解説と私の回答は次回にしましょう。
そうじゃないと、スルーして読んじゃって、せっかくの皆さんが
考えるチャンスを私が奪っちゃうかもしれないもの。