日付が変わってしまったが、昨日は自殺に関して客観的に考え続けていました。
就活失敗し自殺する若者急増…4年で2・5倍に
鉄道自殺「晴れの日」に多発…昼は飛び込み、夜は線路侵入
おそらく、自殺ってネガティヴの最高峰だと思う。だからこそ、あえて着眼してみたのですが…。
僕自身、自殺したいと思ったことは10代前半であります(苦笑)。
未遂で終わったけど、今年1番の寒さなんて言われた日に上着も着ずに家を出て3日ほど放浪し野宿したことあるのを思い出しました。
不思議なことに寒さをあまり感じなかったことを思い出します。感性がゼロに近いのでしょう。夜より昼のほうが寒かった記憶があります。
僕の思う自殺の特徴って、気力がなくなり視野も限りなく狭くなっている状況なのかなと思います。
死にたいって、自分の存在を抹消したいっていう願望なのかなと思います。
ニュース記事リンクしましたが、書いていることのデータはさして重要でないと思っています。
結論を言うと、傾向から対策を立てることは難しい。気候条件や1つの事実が自殺に直結はしないから。就活失敗で自殺増加って過剰な書き方だと思うので。
そんな中感じることは、自殺を思い立つ人の多くは、
自分の存在価値を自身で認めることができないか、他人に強く否定されてしまったかのどちらかだと思うのです。
自分自身過去を振り返っていると、自分がいなくても社会全体では何の影響もなく進んでいくことを良く感じていた。
特に仕事をしていて辞めた経験が何度もあるから分かるが、自分の代わりなんていくらでもいるから業務に支障などほとんどない。
辞めた後の数日ぐらいは余韻が残ることは他の人が辞めたことで知っているものの、いづれ消えてしまう。
勿論、その人の存在は凄く大きかった(地位とか仕事ができるとか関係ない)こともあります。
電車の人身事故では、死というものを見せ付けたいという考えがあるから悪いという言われ方があります。確かに、社会に迷惑をかけている事実はあります。
しかし、自殺を選ぶ人はその後の背景など考える余裕などないでしょう。心中や殺人ならあるのでしょうが。
心にゆとりを持てる人は自殺というのを考えることはないと思います。勇気のある人は自殺を考えることはないです。
逆を言うと、自殺に勇気はいらないのだと思う。無気力な中で、衝動が加わって起こるのかなと。
命を絶つことのメリットって何だろうと考えたことがあります。
真っ先に思い浮かぶのは、わずらわしい社会から解放されることでないかなと思います。
今の自分もそうなのですが、生きているそのことに罪悪感を感じてしまうのです。
生命活動を行っている以上、それに使っているものを社会というかこの世に返さなければいけない。
お金では換算できないけど、僕の抱えている負債は莫大なものだなと思えるのです。
返し方ってないのかなって切実に感じますね。
生かされているにもかかわらず、相手を生かすことを全然していない。そんな自分が許せないのと同時に、それを理由に怠けている自分がいる…。
まれに、『自殺に関するQ&Aをみると自殺するなら死ぬ気になって頑張ればなんてことない!』ってみかけることがありますがそれは分かってない人だと思います。
自殺を考える人は、気力そのものがないのです。
死ぬ気になるって、『死』って文字はあるけど死とは無縁です!
また頑張れる人は死を考えるはずがないです!
頑張るや頑張っては今年から禁止用語にしていて、自分からは使わないようにしています(相手が使う分には気にしない)。
みんなが生きる(活きる)社会って、虚妄なのかなって最近感じています。
選ばれた人しか、中傷的ながら人間らしい生活はできないのではないのかな。
ここ5年自分の目から見ていて、社会はそういう方向性に向かっている…。
そういった中で、自分の価値を自力でも他力でも見いだす事ができるか否かで、人生というものや変わっていくのだと思う。
1人が変わっても大河でわずかな水しぶきが上がるぐらいで微小な変化しかないだろうが、多くの人が変わったら大河の流れも影響するかもしれない…。
この先、『死』というものの意味が大きくなるのだろうか?それとも小さくなるのだろうか?
今現在の自分は、活きるパワーまでは持ってないので、もう少し何とか溜めることを考えて実行しなければならない状況。
生きる方向性が見いだせるといいね。底辺より下のマイナスゾーンに入って、こんな記事書く自体凄い緊張がありますが…、背けてはいけないと思ったので書きました。
生きていてよかったと、逃れられない死の直前に先入観なしで心の底から思えたらいいなと思えたので…!