よく聞く言葉で、『できない理由を考えないでまずはやってみよう』ってあります。
その通りだなあ。『やりたい理由』でなくて、『できない理由』を考えてしまうから行動に移せないと…。
そんな中、できない理由を考えやすい自分ですが、
『できない理由』を考えることは完全な悪なのだろうか??
冷静に考えると、できない理由を考えることって危険察知能力の本能の部分を持っているという面があるのです。
極端な例ですが、
崖から飛び降りてそのスリルや落ちていく感覚を楽しみたいと考えます。
しかし、落ちた先には死が待っている…、死ななくても大怪我をしその後やりたいことができなくなる…。
とできない理由を無意識に考えて、一旦はその行動を止まります。
できない理由を解決するわけです。
崖から飛び降りる前に安全ロープを付けるとか、自分と同じ人形を使って試してみる(笑)とか。
崖でなくて、バンジージャンプで同じ体験ができるから変えるとか(爆)
できない理由を解決すれば、行動に移せるしそれは上手くいくのではないか。
去年末、外出(外で歩く)ことができなくなり困ってしまったのです。
目的を作っても当日に具合が悪くなったりし、心が拒否しているのだなあと(具合を悪くしたのはしたくないという心が大きかった)。
そんな時、外出できない理由をあえて考えてみたのです。
・寒い
・身なりが悪く恥ずかしい
・顔見知りと会うのが怖い
・疲れた反動が嫌
・外出中に疲れから真っ直ぐ歩けなくなることがある
・etc
解決法(上記順)
・暖かい服を用意する
・前日にある程度身なりを整えて当日に最終チェックをする
・いない時間を見計らう、会ったら挨拶をする心構えする
・外出の時間を短めにする
・帰り道は歩いたことのある道を選ぶ
・etc
こんな感じで、できない障壁を取り除いてやっとできるようになったのです。
大目標は、12月23日にコンサートに行くというのがありました。
この日に確実に外出するために、何度か外出して外に出ることは怖くないと自分に信じさせる必要があったのです。
『できない理由を考える』ことは、自分の心の叫びなのです。
だからこそ、そのことと正面から付き合っていく必要性も時にあります。
やってみて上手くいかないばかりか損害まで被って、
大ダメージを受けてしまったあることがあったのですが、『できない理由』まではいかなくても『失敗するリスク』を無視してしまったのです。
本当の前向きさやポシティヴって、後ろ向きな面やネガティヴを含めた上で判断して行動できるかだと思うのです。
この部分は、自分だけが知っている部分であり自分で判断しないといけないのでしょう。
さまざまな媒体や人と関わり自分を知っていき、最後の手綱をとるのは自分。
自分に克つところから、今年は始まりそうです。