在り方は問う人がいるから難しくなる | ノンタの気付きから人生考察する癒し系日記

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 嗜好を変えて、『在り方』の別な側面を書きます。

 『在り方』が難しくなる理由って、問う人が増えているからではないのかなと思うのです。

 『○○の在り方とは?』のような出し方は、少なくても10年前よりは増えていると思う。

 マスメディアが、あえて視聴者に提起する。

 首相の在り方、監督の在り方、日本の在り方、メディアの在り方、etc

 あるいは、特定の職業や制度に対して在り方を決めて示してくる。

 労働者派遣制度についての在り方、国民生活センターについての在り方、教師の在り方、etc


 在り方を当事者に対して、突きつけるのは多分悪くなると思う。

 例えば、日本の首相の在り方を決めるのは、マスメディアや首相以外の人でなく、首相本人が決めたほうがいいのではないだろうか?

 現実首相がいいか悪いかは別に、首相が在り方決めて進めるほうが分かりやすいのは確か。

 首相を社長に置き換えると、在り方を社員が決めて社長が動くってありえないと思う。


 ここで、僕ノンタを出すと、ノンタの在り方を決めるのは結局ノンタ本人しかいないと思う。

 他の人に助力を頂いても、すべてその通りでやってしまうと、

 ノンタらしさは消えると思う。

 あえて自分を客観的に見ているのですが(正確にいうとノンタと本名の本人は同じなようで同じでない)、僕の理屈的にはそうなる。

 面白いことに、『僕のブログは上野駅タイプ』と在り方1部を決めていたことがあった。

 今は、状況が変わっているので別なブログの在り方を考えるのでしょうが。

 
 結局、在り方は自分で決めるものであって相手が決めるものではない!

 『在りたい』を『なりたい』に変えてしまうとちょうどいいところで、

 自分自身を楽にすると本来の求めている道は見えるのかもしれない。