『いつもあなたがそばにいた』 

 

 

 

恐怖は突然訪れた。それは2009年の春頃だっただろうか、東京のマンションの郵便受けに知らない名前の人からの手紙が入っていた。

すさまじい厚みの手紙には「NON STYLE 石田明様」と書かれていて切手と消印がない。これは直接郵便受けに入れにきたということか。ご近所の方にここ住んでいるところがばれてしまったのかもしれない。僕はそんな軽い気持ちで封を開けてエレベーターに乗り込んだ。

古いエレベーター特有のモーター音が激しく響く中、僕は手紙を読みはじめた。ワープロで打たれた大量の文字が目に飛び込んでくる。大体、ファンレターの書きはじめは決まっている。

「初めまして、大阪良子、高校2年生です」とか「こんにちは、石田さんに手紙を出すのはこれで94回目です」というのが定番なのだが、この手紙は違っていた。

縦書きの1行目に書かれていた文字がこれである。

 

いつもあなたがそばにいた

 

まったく身に覚えがない。2行目の下のほうに差出人らしい名前が書かれている。ここは仮に井上裕子としよう。3行目と4行目が全部空欄で5行目が書き出しのようだ。

 

眠気目の私がいつも通り目覚ましのスヌーズ機能と戦っていると、部屋のドアからとても臆病なコンコンという音が聞こえてきた。1階の定食屋で働いている石田明に違いない。定食屋の主人がこのアパートの大家も兼ねているため、私の隣の部屋に住み込みで働かせてもらっているらしい。20代後半にさしかかった頃だろうか、身長も顔もこれといって特徴はない。特徴と言えば痩せすぎた体と、それによって目立ってしまっている頬骨くらいだ。どこにでもいる普通の青年、私はそう思っていたがどうやら違うらしい。あまりテレビを見ないのでわからなかったのだが、漫才師をしていて人気も実力もあるそうだ。商店街で女子高生たちに囲まれているのを目撃したことが何度かあった。その石田明が毎朝私の部屋のドアをノックしにくるのにはふたつわけがある。ひとつはアパートの壁が薄いのでスヌーズ機能が迷惑だというウソの理由。もうひとつは私の寝顔を見たいという本当の理由……

 

……どうやら僕と作者の恋愛小説らしい。それも僕が作者にゾッコンという設定だ。その1万字ほど書かれた恋愛小説はめまぐるしい展開を見せた。

作者の部屋にゴキブリが出て、それを助けにいく僕。それ以来僕のことが少し気になりはじめる作者。惹かれあうふたり。そんな中、定食屋が食中毒を出してしまう。その罪を着せられて辞めさせられる僕。この展開にはさすがに腹が立った。フィクションとは言え、なぜ食中毒の原因にされなくてはいけないのだ。そしてなによりも腹が立つのが話はここで終わっていたのだ。「つづく」という文字を最後に。

 

それから毎月『いつもあなたがそばにいた』がポストに投函された。最初は気味悪いような腹立たしいような気持ちだったが、僕はだんだんとその小説の(とりこ)になっていったのだった。

定食屋をクビになった僕はアパートを追い出されることになった。ビルの清掃員を始める僕。そのビルが作者の職場で、再会を果たす。そこからデートを重ね付き合いはじめるふたり。話は順調に進んでいった。

僕は『いつもあなたがそばにいた』が投函される月初めが、楽しみで楽しみで仕方がなかった。そんな僕を悲劇が襲ったのはちょうど半年が経った頃だ。『いつもあなたがそばにいた』の最新刊を読みはじめてすぐだった。まさかの展開に驚愕した。まったく予期していなかった。こんなことがあっていいのか。

まさか僕が作者にフラれるなんて。

いったいどういうことなんだ。意味がわからない。僕のことが好きだったから、この恋愛小説を書いたのではなかったのか。空想の中に浸りたかったからではないのか。ただ僕を(もてあそ)んだだけなのか。どこまで僕はアンラッキーなのだ。僕は怒りに震えながら続きを読みはじめた。

理由はよくある「好きな人ができた」というものだった。そしてその人と同棲するときたものだ。その気になる同棲相手がすばらしい。あのジョニー・デップだそうだ。アメリカに来いと誘われたらしい。この設定にはさすがに僕も笑ってしまった。アメリカに旅立つ作者を空港で見送る僕。そのシーンを最後に、こう書かれていた。

 

              

 

                 ご愛読ありがとうございました

 

来月からジョニー・デップにも『いつもあなたがそばにいた』が届くのだろうか。僕はそんなことを思いながら「いつもあなたがそばにいた」にライターで火をつけた。

 

 



 

 

              END

 

 

ほいでは。