unlucky15 井上というヤツ
相方の井上とは中学時代からの付き合いだ。だけど、その頃ははっきり言って仲が良くなかった。別に嫌いでもないし好きでもない。話すことも特にない。そんな関係だった。
しかし、中学3年になり、井上が僕と同じ高校を受けるということが判明する。その時もこれといった喜びもなければいらだちもない。至って普通。「へ~」という感想でしかない。井上はあくまでそんな存在だった。
同じ高校を受けた男子は10人もいなかった。その中で僕と仲が良かったのが稲木、チャーリー、うんにょの3人だ。合格発表の日まで僕たちは4人で過ごすことが増えた。僕は高校に入学したら野球部に入るつもりだったが、3人は漫画『スラムダンク』に影響されてバスケットボール部に入りたいらしい。
ある時、その情報をどこからか聞きつけた井上が話しかけてきたのだ。
「なあ、一緒にバスケ練習せーへん?」
僕たちの中学にバスケットボール部はなかった。それなのに井上は経験者顔を決め込んでいる。僕たちは井上が卓球部出身だということも知っている。それなのに、こんな経験者顔ができるものなのかと感心した。間違いなくこいつも『スラムダンク』に影響された口のはずだが、「読んだことはない」と言い張っている。「バスケットのゴールあるとこ知ってるから」と、まったく根拠のない自信を目に宿らしている井上の誘いを断れる者はいなかった。その目がスライドし、なぜか僕のほうに向いて止まった。
「おまえ、パス出しやってや」
こいつは頭がおかしいのか。野球部に入るのになぜバスケットボール部の練習を僕が手伝わなくてはいけないのだ。こんな自分勝手なヤツとは関わりたくない。心の底からそう思った。しかし、その一点の曇りもないその柿の種のような瞳に、根っからのイエスマンの僕は断ることができなかった。
それからというもの合格発表までの夜は、バスケのパス出しをやらされた。ささやかな反抗としてバットを持っていったのだが、一度もスイングすることはなかった。
井上からパスを渡されパスを返す。井上がシュートを放つ。
うんにょからパスを渡されパスを返す。うんにょがシュートを放つ。
なにも楽しくない。僕でなくてもいい。なんなら壁でもできるではないか。これが終わると決まって2対2で対戦をする。当然僕を抜いた4人できれいにわかれる。素振りをするチャンスが到来したと思いきや、「じゃあ、石田審判な」と井上が言う。審判? ルールもまったくわからないのに審判だと。僕はこいつが嫌いだ。そう確信しながらも僕はホイッスルを吹き続けたのだ。
合格発表当日、井上に一緒に見にいこうと誘われたが断った。もしも、僕が落ちていて井上が受かっていた時のことを想像すると耐えられない。だから僕は「母と見にいくから」と断ったのだ。
「なんで行かなあかんの?」とグチる母に無理やりきれいな服を着せて家を出た。母は駅まで向かう道中ずっと「学校行かんと働きーや」、「お金もったいない」、「落ちてたら受験代返しや」とうるさい。これはこれで苦痛だが井上といるよりはまだましだろう。
僕たちは電車に乗った。当然母の電車賃も僕が払わされる。車内でもブツブツ言い続ける母を無視して僕は合格発表へと気持ちを集中させた。初めての経験。そして大学には行かないと決めているので、最後の経験になるだろう。胸ポケットに入った受験番号を取り出して眺める。果たして合格しているだろうか。大きく貼りだされた受験番号の数々。それをひとつずつ照らし合わせていく。受かっている者は喜びの涙を流し、落ちた者は悲しみの涙を流す。僕ももうじきそのワンシーンの一員になれるのだ。そんなことを考えていると目的の駅に着いた。高ぶる僕の胸ポケットに「386」と書かれた受験票を入れ、僕は電車を降りた。
電車を降りて高校までの距離は歩いて5分ほどだ。母はもう疲れたのかブツブツ言うのを止めたようだ。僕はというと心臓が潰れてしまいそうなくらいドキドキしている。黙々と高校を目指して歩くふたり。いいぞ、やっと合格発表の雰囲気が出てきた。あとは受験番号を発見した時に母が感動して抱き合ってくれるかだ。僕は希望に満ちあふれた表情で高校への道を歩いた。
そこに「まあ、落ちるはずないもん」という大きくて無神経な声が聞こえてきた。間違いない、井上だ。声のほうを見ると案の定、井上率いるスラムダンクファンたちが歩いてきていた。会ってしまったら仕方ない。僕は右腕を上げて「おう、どうやった?」と声をかけた。「受かってた~!!」と喜ぶ稲木たちとは別でクールにキメている井上。やはり僕はこいつが好きではない。その好きではない男が僕を指さして言った。
「石田、386番やったやんなぁ? 受かってたで」
……狂っている。言っていいわけがない。合格発表とは人生を左右するほどのビッグイベントだ。ドキドキしながら大きく貼りだされた受験番号を手に握っている受験票とひとつひとつ照らし合わせていく醍醐味。母との感動のハグ。それをすべて井上が奪った。こんなことがあっていいわけがない。合格発表の主が井上であっていいわけがない。開ききった瞳孔でにらみつける僕に井上が懲りずにこう言った。
「なあ、受かってたし、見にいかんでええやん。ラーメン食いにいこうや」
あまりの出来事に先ほどまであれだけ動いていた心臓がほぼ停止している。このドキドキ泥棒め。僕はこいつが大嫌いだと再々確認しながら、母を連れてラーメン屋へと歩を進めた。
END
ほいでは。