トイレの中の人にドライバーさんの思いは届かなかった。トイレに動きは全くない。

ドライバーさんはというとノック以降、興味あるとも思えない商品を手に取っては戻すという作業を繰り返している。タクシーから見るにそこの棚は女性物のヘアゴムなどが置かれている棚だ。しかしそんなこと関係ない。商品を手に取っては戻し続ける。恐らく商品などまったく目に入っていない。今ドライバーさんは腸と肛門に全意識を集中させているに違いない。

それからどれくらいの商品がキャッチ・アンド・リリースされた頃だろう。トイレのドアが開いた。僕は最悪なケースが頭を過ぎった。腸と肛門に全意識を集中しているドライバーさんが、トイレが開いたことに気が付かないというエンドレスバッドストーリー。頼む。ドライバーさん気がついてくれ。

僕はドライバーさんを見くびっていたようだ。ドライバーさんが全意識を集中していたのは腸でも肛門でもなかった。ずっとトイレの中の動きに集中していたのだ。トイレットペーパーの音やズボンを上げる音など、彼は一つも聴き逃していなかったのだろう。

トイレのドアが開いた瞬間、ドライバーさんは反転しドアノブを握った。まるで忍者屋敷で壁から忍者が出てくるかのような動き。殺気を感じさせない静かな顔。トイレの中の人が出た瞬間、するりとトイレの中に入ったドライバーさん。

む、む、無駄がない。


僕は思った。この人の前世は忍者に違いない。

そしてトイレに入ったかと思うと本当に用を済ませたのかと疑う程一瞬で出てきた。これが限界を超えたトイレなのか。

そのスピードにも驚かされたが、それ以上に驚いたのは表情だ。

大学の合格発表以上の達成感、初孫を見た時以上の幸福感、倒産しそうになった会社を自分だけの力で乗り切った時以上の自信に満ち溢れている。タクシーの中でなければ僕はスタンディング・オベーションしていただろう。

いいものを見せて頂いた。ドライバーさん、ありがとう。ではそろそろ戻ってきてくれないか。もう僕の遅刻は決定しているのだから。なんでそんなとこで立ち止まっているんだ。何を見ているのだ。

はっ!その位置は!まさか!

この男!アイスを見てやがる!

何を考えいるんだ。やっと試練を乗り越えたばかりの腸と肛門に、何故さらなる試練を与えるのだ!これがドMという存在なのか。


レジを済ませたドライバーさんが読み取れない表情で戻ってくる。怖い。ドライバーさんはタクシーに乗り込み後ろを振り返りこう言った。

「本当にすみませんでした。なんとかことなくを得ました。お詫びと言ってはなんですがこちらを」

お、お詫び。あ、あ、ありがとうございます。さらに遅刻はしましたが・・・。

僕はかなりの努力で仏の顔を作りアイスを受けとった。そしてドライバーさんは努力ゼロの仏の顔でアクセルを踏んだ。なんて優しいアクセルなんだ。

「優良ドライバーさんおかえりなさい」

正直もう少し急いで欲しいのだが・・・。



僕はアイスを食べながら「何故アイスのだろう」かを考えた。まさかとは思うが「僕にもトイレを行かせて、自分のトイレをチャラにさせるつもりでは」と考えたのではないだろうか。そう言われるとアイスの中でもかなり大きいサイズのアイスだ。僕の腸を痛めつけるには申し分のないサイズだ。

いやいくらなんでも考えすぎた。

僕はルームミラー越しにドライバーさんを見た。ドライバーさんの片方の口角が上がったように見えた。嘘であってくれ。

僕の腸と肛門が武者震いをした。



~END~


ほいでは。