unlucky12 石田、舞い散る

 

 

 

中学校の入学式前日。僕はドキドキしていた。

小学校までは1学年20人という世界で生きてきた。それが明日からは4クラスもある世界へと突入するのだ。それも1クラス40人もいるのだ。1学年20人の世界ですら人間関係を築けなかった僕が160人もの世界でやっていけるはずがない。それはわかっている。人見知りが爆発して硬い殻に閉じこもることが容易に想像できる。

さらに恐れなくてはいけないのは「イジメ」だ。小学校の時はなんとか助かった。でも僕にはイジメられる要素がたっぷりある。そう、ミニマムすぎる身長だ。この時、僕の身長は120センチ台だった。そして家が貧乏による制服のおさがり感。男きょうだいが3歳ずつ離れているため3代目の僕の制服はあきらかにボロボロだしブカブカだ。こんなもの「どうぞ、目をつけてください」と言っているようなものだ。ナメられてはいけない。こういうのは最初が肝心だ。僕は拳をグッと握り静かに闘志を燃やした。絶対に明日ロケットスタートを切らなくては。

 

入学式が終わり僕は「1年1組」と書かれた教室に入った。……んっ、ヤバイ。これが入った瞬間の率直な感想だ。なぜなら周りがけっこう仲良くしている。10人以上の固まりもできている。同じ小学校出身同士で集まっているのだろう。その証拠に集団の中では呼びなれたニックネームが飛び交っている。うらやましい。僕はというと同じ小学校出身の女子が教室にふたり。そのふたりに近寄ろうとも考えたが、その女子ともまともに話したことがないことを思い出した。

僕は自分の席に座り目の前の机をにらみつけた。そして横目でチラチラとクラスの様子をうかがう。またもや「ヤバイ」という言葉が僕の中を駆け巡る。みんな大きい。男子も女子も、全員僕より10センチ以上は身長が高い。異様に小さい僕。このサイズ感の違いは間違いなくターゲットにされる。でもナメられるわけにはいかない。僕はこれまでなったこともない「ヤンキーモード」にギアを入れた。にらみつけていた机をさらににらみつける。間違いなく危険な香りがしているはずだ。「話しかけてくるなオーラ」が背中からあふれ出ているはずだ。絶対に話しかけられることはない。そう思っていた。

 

「どうしたん? ウンコ我慢してるん?」

 

ギャハハとクラスを笑い声が包み込む。クラス中がこっちに注目しているのがわかる。

僕は立ち上がり声の主をにらみつけた。井上裕介だ。……と言いたいところだが違う。井上はその時、後ろの席で肘をついた手のひらに顎を乗せて、窓から見える景色をうつろな表情で眺めていた。制服の袖の部分からイヤホンが出ていて何かを聴いていた。この時から井上はもうすでにイキッていた。

話が逸れてしまった。そんな話はどうだっていい。僕がにらみつけたのは違う男子Hである。ヘラヘラした顔が僕をイライラさせる。そしてなにがムカつくかというと、おそらくこのHは僕の次に身長が低い。なんなら肩までは僕のほうが高い。顔が大きいだけだ。気づけば僕はHの胸ぐらをつかんでいた。まさか入学式にケンカをすることになろうとは想像もしていなかった。しかしこのケンカに勝てば間違いなくロケットスタートが切れる。僕は拳を振るった。何度も何度も振るった。ジャストミートすることは一度もなかった。

そしてなにやら柔道の投げ技のようなもので宙を舞った僕。柔道の抑え込み的な技でまったく動けなくされた僕。泣きじゃくる僕。ロケットスタートの野望は儚く散った。そして僕は見事な潜水艦スタートを果たしたのだった。

 

潜水艦スタートを切った僕は「中学の時イケてない芸人」のパスポートをゲットした。その「イケてない」の中でも、ベストオブ「イケてない」のが忘れもしない修学旅行だ。

 

修学旅行1日目の夜。もう食事も風呂も済ませて、あとは寝るだけだった。しかし修学旅行の初日にすぐさま寝ようとするバカな生徒はいない。就寝時間に先生が各部屋をまわり電気を消す。そしてどこからともなく始まる「おまえ誰が好きなん?」トーク。様子をうかがう主力メンバーは、大体僕のようなタイプに話を振る。僕の好きな人などに興味がないことはわかっている。本番前のストレッチみたいなものだ。僕はここで決して「NO」と言う権利を持ち合わせてはいない。僕たちみたいな「イエスマンズ」は従うしかないのだ。

しかしここで油断してはいけない。この質問には地雷がたくさん埋まっている。もしも僕が言った好きな人が、主力メンバーの好きな人とかぶった日には何をされるかわからない。好きな人がかぶっていなくても、高値の花すぎても「調子に乗るな!」となる。僕は慎重に考えて、地味だが愛嬌のある女子の名前を答えた。「お似合いや~ん」という合格音が聞こえて、僕は心の中でガッツポーズをした。ひとしきり「おまえ誰が好きなん?」トークが終わると静けさが訪れる。暗闇の中を縦横無尽に睡魔が歩きまわる。その睡魔の総攻撃に続々とリタイアが増え寝息が聞こえはじめた。僕のまぶたももう開きそうにない……。

 

バフッ。

「いたっ」

 

睡魔の巣窟を切り裂いたのは主力メンバーの枕だった。そう主力メンバーのひとりがもうひとりの主力メンバーに向かって枕を投げたのだ。投げられた側が投げ返す。暗闇の向こう側で「バフッ、いたっ」が繰り広げられている。主力メンバーのひとりがゲラゲラと笑いながら「やったなテメエ。おい、誰か電気点けろ」と言い放つと、僕に続くイエスマンズ2号が速やかに電気を点けた。まぶしい。久々の灯りに目を細めながら「バフッ、いたっ」方向を見ると、まさに枕投げが開催されていた。盛りあがる一同。

主力メンバーのひとりが「おいっ、誰か先生来ーへんか外見張っとけ!!」と言ったのでイエスマンズ3号が速やかに見張りをしにドアの外に出ていった。まわってくる枕を、僕は適度な力量で誰かに当てる。これは強すぎたら「おまえシバくぞ!!」となり、弱すぎたら弱すぎたで盛りあがらない。僕はこれを「接待枕投げ」と呼んでいた。

 

枕投げもそこまで長く続く遊びではない。思ったよりも早く来る「飽き」をみなさんも経験したことがあるだろう。かといって簡単にフェイドアウトすることもできない。どうすれば終わるのか。そう、僕たちの騒ぎっぷりに気づいた先生が部屋に入ってくることだ。その瞬間電気を消して一斉に寝たふりをする。あの瞬間のスリルがいちばんたまらないらしい。常に平穏を求める僕にはまったくわからないが、イエスマンズの中にもこのスリルを密かに楽しんでいたヤツがいることも知っている。

部屋中が先生の来襲を待ち望んでいた。しかし、なかなか来ない。早く来い。もう枕投げはとっくにおもしろくなくなっているのだ。その「飽き」に耐えきれなくなった主力メンバーのボス的存在が、新しい提案を投げ込んだ。

 

「『石田投げ』しようぜ!!

 

みんなの顔がパッと明るくなった。僕の顔はというと当然キョトンだ。とはいっても「枕投げ」の流れで「石田投げ」と言われれば、大体の想像はつく。おそらく僕が宙を舞うのだろう。せめてもの優しさからか、みんなが畳の上に布団を何枚も重ねて安全性を高めてくれている。

「危ないと思うなら投げるなよ」というツッコミが頭に浮かんだが、すぐさま重りをつけて胸のうちへと沈めた。布団が積みあがると、横になった僕は誰かと誰かに両足と両腕をつかまれて、ブランコ状態になった。もちろん嫌ではあるが、あのまま枕投げを続けるよりはましだと思ってしまったのだから仕方ない。

そしてなにより僕は誇り高きイエスマンズ1号だ。断るなどしてたまるものか。僕は投げ手に身を任せた。身長も低く体重も軽いため投げ手の負担も少なそうだ。僕のブランキングは勢いを増していく。「せーの」の掛け声で僕は宙に舞った。予想以上に。

 

ドンッ!

 

あきらかに布団セキュリティーゾーンを飛び越していった僕は畳に打ちつけられ腰を強打した。笑いに包まれる部屋。その瞬間痛みが少し消えた。やはり、どんな形であれ僕は笑いをとるのが好きなようだ。

「ちゃんと、布団目がけろや!」などとヘラヘラ言いながら、次は違う誰かが石田セッティングをする。すぐさまブランキング。そしてスローイング。僕はフライング。布団に着地できずバッドエンディング。爆笑に包まれる部屋。

先生、早く来るんだ。今がピークだ。これを過ぎるとまたあの忌まわしき「飽き」が来てしまう。それだけは避けなくては。投げられて笑ってもらえるならいいが、面白くないと思われながら投げられるのだけは嫌だ。僕はそう思いながらただただ揺られていた。……その時だった。

 

「みんな! 先生来るで!」

 

血相を変えて部屋に入ってきた見張り役のイエスマンズ3号の声に、イエスマンズ2号がすぐさま部屋の電気を消した。暗闇の中、足音や布団が擦れる音で、みんなが寝たふりをするため、積まれた布団を取っては自分の身を包んでいくのがわかる。しかし僕はまだ揺れている。ヤバイ。僕も寝たふりをしなくては。僕はまともな判断もできずに揺られたまま寝たふりをした。

 

ガチャリ

 

ドアの開く音とともに小さな「せーの」が聞こえ、僕は暗闇の中を舞い上がった。感覚でわかる。相当高くまで舞いあがっている。「パチッ」という音とともに部屋が明るくなった。僕は薄目を開けてドアのほうを見た。先生が唖然としている。それはそうだ。普段静かでおとなしい僕が、眠りについているみんなの頭上で宙を舞っているのだから。舞っている僕に対して先生はこう言った。

 

「おいっ石田! なにしてんねん!!

 

先生。僕が自発的に飛んだ(・・・)わけ(・・)ないじゃないか。

 

ドンッ!

 

先生の言葉に意気消沈した僕は、着地と同時にそのまま寝たふりをした。もう無理なことはわかっている。案の定、先生の足音は僕の耳元で止まり、いきなり耳をつねりあげられた。

「石田、廊下立っとけ!!!

正気かよ、先生。そんな言葉を言う気力も勇気もなく、僕は「舞い」「散った」のだった。

 

 

                終わり

 

 

 

ほいでは