unlucky3 パワフル ダディ
僕は小学校の低学年の頃、父との思い出がほとんどない。
強いて言うならタバコ臭いという印象があるくらいだ。なぜこれほどまでないのか……。
その答えは簡単だ。
父とほとんど会わなかったからだ。家には帰ってこない。帰ってきたとしても朝方に帰ってきて、僕たちきょうだいが学校に行くまでは爆睡していた。僕には父と会話をするチャンスも勇気もなかった。
今となっては父も孫ができて仏の様な顔をしているが、若い頃は「ザ・破天荒」だった。ろくに働かない。よく酒を飲む。ギャンブル漬け。ケンカっ早い。
母がパートと内職でやっとの思いで稼いだお金を奪ってはパチンコに行き、負けては借金しての繰り返し。
お金もないのに見栄っ張りだから、人におごりまくる。当然のごとく膨れあがる借金。従ってやせ細るきょうだい4人。見事な負の連鎖。苛立ったら外でケンカをして帰ってくる。
本当にウソみたいな父親だ。
父が一度、鮮やかなほど血まみれで帰ってきたことがあった。心配をして血をぬぐう母を振り払い、父はタバコに火を点けおもむろにスクワットを始めた。煙が目に入ったのか目を細めながら父は男きょうだい3人に向けてぼそりと言った。
「外国人は強いぞ」
そしてスクワットを30回ほどして「よし!」と言い放つと家を出ていった。
驚いた。まさかそれで勝てるとでも思ったのか。そんな微量な太ももの筋力補強で意味があるとでも思ったのか。負けず嫌いなのは知っていたがここまで無謀な人だとは思っていなかった。そして気づいた。
この人は本気のヤバイ人なのだと。
そしてきょうだいはアイコンタクトを交わした。「この人とは、あまり関わらないようにしよう」と。
こんなにも勝手で激ヤバで破天荒な男のくせに息子には厳しかった。
ある時「家は『ゼッタイオウセイ』なんだ」と兄が教えてくれたことがあった。その時は意味を理解していなかったが、今思うと、まさに「絶対王政」だった。
あまり家に帰ってこないのが救いだったが、いざ父が帰ってくる時は、きょうだい総出で直立して出迎えたものだ。常に敬語を使い、顔色をうかがい、当たり障りのないように過ごした。
それでも、父の逆鱗に触れることはある。その瞬間は時が止まったかのように静かになる。父の怒りの導火線に点火したことを示すかのように、時計のカチカチという音が大きくなっていく。父は決して怒鳴らない。ただ静かに目を細め、毒蛇のようににらみつける。にらまれたターゲットは呼吸の仕方を忘れ涙腺が崩壊する。その後は……。
そんな父のことを僕たちは友達に知られるのを恐れていた。どうやら薄々は感づかれていたようだが、僕たちは父の話を必死に避け続けた。そして僕たちきょうだいは力を合わせて父の存在を半透明にすることに成功していた。しかし、悪夢は突然訪れた。
あれは忘れもしない、僕が小学3年生の春。母が扁桃腺を腫らして高熱で倒れたのだ。「なんでこのタイミングやねん、明日は授業参観日やのに! 明後日からにしてえやぁ!」と、高熱でダウンしている母に僕は泣きながら訴えた。
母は「こいつ、何言うてんねん。私がこんだけしんどそうにしてんのに、そんなことよく言えるなぁ」という冷たい目をしていた。
そんなことはお構いなしに、僕は意味不明かつ勝手な意見を吐き続けた。するとそこにガチャリというドアを開ける音が聞こえた。嫌な予感が走り、涙が一瞬で乾く。案の定、後ろから徐々にあの嫌なタバコの臭いが近づいてくる。僕は「おかえりなさい」と起立して言うと、父が無言で目の前の状態をうかがう。
「……実は扁桃腺が腫れて、熱が39度あるんです。すみません」
母が腫れあがった扁桃腺を動かしながら掠れた声で言う。
「そうか」
父はタバコに火を点け、目を細めた。扁桃腺が腫れてのどが痛い母の前でタバコを吸う父を僕はにらんだ。でも怖かったので一瞬で情けない小動物のような顔へと戻った。
「あっ、実は明日なんですけど、明の授業さ……」と言いかけた母を、僕は開ききった瞳孔で見つめながら、今まで出したことのないような大きな声で制止した。
「のどが痛いんやったら、しゃべったらあかんよ!」
助かった。間一髪セーフだ。ここで授業参観のことを父に知られて、学校に来られた日には、今まできょうだいでやってきた「父親半透明運動」が台なしになってしまう。
安堵の表情を浮かべた僕に「うるさい」と父がゲンコツを入れた。「参観日に来られるくらいなら、こんなものまったく痛くない」と思いながらも泣きそうになった。
「まあいいわ。ビールあるか?」
父がひとりごちて冷蔵庫に向かい、扉を開けようとして手が止まった。父が何かを見ている。
最悪だ。なんてことだ。「授業参観のお知らせ」が冷蔵庫に貼られているなんて……。父はそのプリントを手に取り、何も言わずに家を出ていった。
翌日の授業参観日。
ザワザワと同級生が落ち着きなく騒いでいる中、授業は始まった。振り返ると父がいた。パンチパーマをあて、紫のダブルのスーツにサングラス姿の父が。
終わり
ほいでは。