私は昔自分の感情のごみ箱に行く夢をみたこととがある。
ゴミ箱というのは正しくなくて感情が生まれたりなくなったりしていく感情の森というほうが正しい。
私は何かから逃げていて、急いでいるウサギに出会う。ウサギは、未知の案内人はウサギだって決まっているでしょう?と私に告げた。不思議の国のアリスの世界だ。
種として植えられた感情はゆくゆくは花になったり、木になったりする。枯れた花や木は風に運ばれて砂漠になる。自分にとって良いとされる感情は植物になり、不要な感情は砂になる。その砂で砂漠が形成されている。負の感情は気候や異常現象として現れる。善悪と無で姿を変える世界だ。感情を育てる妖精もいる。草木に肥料をあげ、水をあげ、より豊かに育てている。砂漠は荒れないように見張っている。一番悪いのは悪天候で砂があれ、オオカミのかたちになり、植物を荒らすことがある。それをつかさどる悪い妖精もいて、それを倒そうとする兵士もいる。自分にとって良くないと思った感情が生まれたときに、それを助長する自分と止めようとする自分がいるかのように、天使と悪魔にささやきに似たような、砂漠オオカミと妖精兵士の戦いがある。
私はその心の中に何かを探しにつれてこられたのだけれど何だったのかは覚えてないし、
砂漠オオカミがいたことも、かわいらしい大事にしている花があったことも覚えている。
私の夢だから私が自分の心をどうとらえているかが具現化された世界だったのだと思うのだけれど、
不思議で可愛くて愛らしい世界だった。
心の受容を変えると、かわいらしい言語にするとまた許せることがある
嫌な気持ちが生まれたとき、感情が暴発したとき、砂漠オオカミが騒いでるなあって思うことにしたり、気持ちがほっとしたとき心にチューリップを咲かせてみたり、毎日それに肥料をあげてみたり、自分から種を植えてみたり。
そういう言語化することで心を外から見ることもできる。受容が変わると、感情の受け入れやすさもスムーズになったり、自分に対して許容が生まれることもある。
他人からみたらおかしいと思うだろうし
私のこのファンタジックなとらえ方をおすすめするわけではないけれど、受容を変えるために言葉を変えたり世界を作ることは、一つの方法としてありなんじゃないかなと思っている。