なんじゃその風体は | とりあえずタカラヅカを絡める

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一昨日は雪my千秋楽、お芝居で大いに泣いて(リアルで)、ショーで大いにはしゃいで(心の中で)きました。

上田先生の言葉のセンス・チョイスが丁寧で的確で好きです。
「一揆っちゅうんは百姓が食うもん無くなって暴れることじゃ」とか、「なんじゃ、その風体は」とか。

飢えて、なんて使わないのです。子どものセリフだから。(無学の)百姓のセリフだから。
また「あばれる」というのも日本の日常の生活に根ざしていて、しかも子どもらしくて良いですよね。
だいぶ前の話になりますが、スサノオノやアマテラスに「暴力暴力」連呼させた木村先生だったら「一揆っちゅうんは飢えた農民が暴動を起こすことじゃ」とか書いちゃいそうです。

風体(ふうてい)という言葉、現代ではおじいさんおばあさん世代でさえ使わないですよね。でもこの言葉で貴姫の格好が江戸城という場所は勿論のこと、高貴な身分のお姫様が本来するようなものでないことも表されているし、吉宗公のざっくばらんな性格も垣間見えてイイなあと思いました。 

このお芝居で唯一分からない(私が)のが吉宗公の「陸奥への出立は明朝」ってとこです。
晴興は国許にいると思っていた(吉宗公とのやり取りは書簡)ので、吉宗公が明朝ってお沙汰下しても、それが三日月藩の晴興に届く頃には既に「明日」ではなくなってる訳で、それってどうなの?と不思議だったのですが、晴興は江戸へ戻らずに永蟄居のお沙汰は「上意」の文を携えた幕府のお使い(三日月藩がしばらく熊本藩預かりになるということからお役目は熊本藩に下命されそう)が三日月藩のお城にいる晴興に伝えそうと思ってた前提自体が間違ってるってことだったのでしょうか?

晴興は一揆鎮圧や農民たちの罪を免ずること、自分が老中を辞退することなどを直接吉宗公に報告するために江戸へ戻り、お沙汰の「明朝」陸奥出立にあたり、城明け渡しなどの諸々雑事のために三日月藩に立ち寄ることが許されたってこと?
陸奥と三日月藩は正反対の方向だから三日月藩経由陸奥藩なんて発想しなかったんですけど…

プログラムやルサンクには載ってるんですかね?両方とも買ってないので分からないです。