いわゆる新興宗教を今月末で
卒業することにしました。

これまでに二つのやってきました。

1つ目は祖母が信じていたもの。
それはそれは立派な神殿のあるもので、
いつの間にか私も一生懸命でした。
家にいるのがつらかったので
通っていました。
そこには私の居場所がありました。
みんな良くしてくれました。
父が大反対で辞めました。

2つ目は、お稽古ごとの先生からのお誘いでした。その時は何か感じるものがあり、
自分の意志で入りました。
不思議な体験をしたり、
信じる要素があってしまい、
でもずるずるとなんとなく続けていましたが、
息子の不登校で、ものすごーく頼りました。
泣きながら話を聞いてもらい、
「大丈夫よー!!」
と言ってもらい励まされました。

そのうちにブログの方々に色んなことを学び、
宗教をしながらも、疑問に思っていたことが
少しずつ解明され
もう自分には必要ないと
思うようになりました。


いわゆるそれらの共通点は…
信じれば救われる。
お経や祝詞をとなえましょう。
そうすれば大難が小難になりますよ。
会費を納めてね。
お仲間を増やせばもっと救われますよ。
などなど。

仲間を連れていくと
自分が救われて行くシステム。
罪が消えていくと言われました。
「罪深い自分」と言うのが
「私って罪深いんだ、幸せじゃないんだ」
と思ってしまい、しんどくなりました。
私は友達を連れていくことはしませんでした。

選挙があると、
「この人に、この党に投票しましょう!」
「この裁判官は辞めさせてね!」
違和感がありました。


このお経はとってもありがたいのよ!
と言われてきましたが、
お経を読まなくても
息子は不登校から学校へ行くように
なりました。

窮地に陥った時、蜘蛛の糸が目の前に
現れるとすがりたくなります。
私はまさにそうでした。
すがる事でなんとかなる、どうにかなると
思ってしまったのです。
どうにかして!だったかな。

何かにすがると私の場合は
自分の気持ちを他に委ねてしまい、
助けて!になり、
ただすがっているだけになりました。


でもそれも違うんだと気づきました。

色々なことを学び、
ようやく、なんとなく
この世の、宇宙の仕組みが
少し分かり、学んだことを試してみて、
なるほど!と思いました。


未来は自分で決められる。
自分の意志で変えられる。
自分の気持ち、想いが現実になる、と。
自分次第。

息子の事を通してそれを体験しました。



どう生きて行けばいいのか、
これでいいんだ、大丈夫なんだ。
これからはこれで行こう!
と思えたので、卒業することにしました。

大丈夫よ!と言っていただけたのは
どれほど心強かったか。
感謝しかありません。

あくまでも個人の意見です。
自分の信じた道に未来はある。
何を信じるかは自由。
どう生きるかも自由。

自由になります!!