行き渋りや不登校について考えてます | *・゜゚・*発達凸凹姉妹と過ごす*・゜゚・*のんママの慌ただしいブログ

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発達障碍児(小学校高学年)の娘たちとの慌ただしい日常と、好きなもの、きになるものあれこれ

この記事の下部にあるのは、以前書いていたブログの2016年5月の記事。
最初にこの記事をこちらに再掲したのは、今現在この記事のメインになっている次女が不登校になっているから。



次女は聴覚優位でLDがある。
さらにASDとADHDもあり、特性が相反する部分もあって自分の中で矛盾が生まれやすく、それがまた次女を苦しめる。



つまり、うちの次女の場合はこんな感じになります。
授業は耳で聞いた方が理解ができる。
でも不注意傾向があるので意識が集中しにくい。(集中しないといけないのは分かっているのにできない自分にがっかりする。)
聞き逃すと話の流れがつかめない。
ノートを見なおしたくても書字障害があるのでノートは取れない。(頑張ってノートを取ると、その間話を聞くことにまでは意識が避けない。また、手先が猛烈に不器用なため、書字にエネルギーの大半を持っていかれて疲れ果てる。)
更に黒板を見ようとしてもストレスが高まると視覚障害を起こして視覚が白ボケして何も見えなくなる。



資格優位の支援がメジャーになっては来たけど、聴覚優位の支援ってあんまり聞かないでしょ?
特に私が住まう地域では、この支援がとてもやりにくい環境。
現学級に支援級の子が常に入り込んでいて、誰が支援級の所属かは分からない。
うっかりしたら当の児童すら自分が支援級所属とは知らない。
その中で当人の自尊感情や自己有用感を傷つけずに支援を受ける気にさせていくのはとても難しい。



次女は自分が周りの子たちとどこか違うことに気がつき、苦悩し、ダメな子と思われることを恐れている。
私は次女に彼女の診断名や特性を隠したことはないし、その診断名や特性が悪いこととは考えてないんだけどね。
それは、その診断名や特性も彼女を形作る一つのものであって、それがなければ私の大事な次女ではないから。



不登校というのは、私にとっては未知のもので、やはりどこか恐怖心を感じている。
相談に行くところ行くところ、次女は何故学校に行きにくいと思うか尋ねられるけど、そんなの分かってたらとっくになんとかしてるんだよねー…というのが正直なところ。



全く何にも理由が思い当たらないわけじゃないけど、
例えば1学級数が40人を大幅に上回っていること。
支援級の子も取り出しがないこと。
ずっと現学級で過ごすこと。
それによって支援担が色々な学年の教室を見て回るために、手のかからない子(授業中大人しくしてられる子)のところにやってくる時間数が少ないこと。
次女が自ら困っていることに対してヘルプを求められないこと。
表情と言葉と感情がマッチしていないため困っているとは気がつかれないこと。
だから余計にピンポイントで支援が受けられていないこと。
それによって学校というシステムの中で大人と信頼関係が築きにくいこと。



言い出したらキリがないくらい思い当たる理由はある。
でも、これをたかが一個人である保護者1人がどう解決する?
教育センターや発達支援センター、療育、デイサービス、病院、親の会に通い、私は自身発達の事は勉強もしてる。
ある相談機関では、
「できることは全てなさっていますし、今は私たちにできることはないです。」
なんて言われて、呆れて帰ってきた。
何のための相談機関なの??
どこが、学校で困っている子どもたちに、まっすぐな目を向けて、彼らの困り感を知り、悩み、一緒に改善を図ってくれるの?



不登校は年々歳々増えてます。
それはどうしてなの?
子どもの心が弱くなってきてるの?
多分違うよね。
環境が、人が、教育が子どもの心に栄養分を与え切れてないんじゃないの?
子どものために行われる「良かれと思って」が、本当に子どもにとって良いことなのかは疑問だと思う。大人にとって都合がいいことや満足感が高いことにすり替わってたりしないかな?



さて、では一個人である私は何ができるだろう。
親が、我が子にできることって案外そんなに多くないなってここ数年で痛感してます。周りの人たちの言葉や行動が、娘たちには私の言葉や行動より響き、考えたりしているのを目の当たりにするから。



だから私は、私の子ども以外の子にたくさん関わっていきたい。私の子どもがしてもらったように。



行政も、将来を担う子どもたちが現状や将来に期待できずに閉じこもってしまう前に、しっかりと現実を調べて向き合って、山ほどあるはずの改善できるところを見直してほしいと思います。



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2016.5の記事

うちの次女は今年度、新一年生になりました。
最初はハイテンションで登校していたものの、徐々に足取りは重くなり、すっかり行き渋り娘です。
もともと不注意で危険なため、学校側と話し合って登下校は送り迎えすることになっていました。
でもこうなると、登下校に慣れても送迎をしないわけにはいかない状態です。

クラスの中で徐々にみんなが仲良くなっていく中、なかなか仲間に入れない(当人曰く、恥ずかしくて声をかけられないそうです。)。
勉強も始まる。
5月にはなんと運動会。
一度にいろいろありすぎるんでしょうか…だんだんと教室に入れなくなっていき、校門を一人で通れなくなり…
今は教室の前までと自分で条件を付けてきたので、そこまではと一緒に行っています。

昨年度は長女が新一年生でした。
長女の場合はハイテンションが夏休みまで続きました。
新しいことが山盛りで、テンションがだだ上がり。
当人では制御不能なようでした。
最も、当人は学校が楽しくて仕方がなく、見ていて心配ではありましたが良いハイテンションでした。

順調に行けている子供に対して、学校に付いて行くこともなければ、そうそう問題が起きなければ周囲の子供たちの様子を知ることは参観日くらいのものです。
なので、次女が行きしぶりをして初めて、よそのお子さんの様子を見る機会に恵まれました。

学校に入るのに苦労している子、案外たくさんいます。
泣きながらやってくる子、お母さんから離れられない子、結局学校に入れなくて帰る子。
親は行ってくれないと困るので、なんとか行かせようとします。
でも、こどもは必死の抵抗。
泣いて、または固まってしまって、どうにかして逃れようとします。

うちの次女の場合、そもそも愛着形成がしっかりできておらず、しかも自己肯定感はそれはそれは低空飛行。
ずっとお世話になっている専門家の方々に入学前に登校拒否の可能性を示唆されていました。
私もさもありなんと思っていました。
何しろ、私から離れられないのですから。

愛着形成が遅れてしまった次女は、おそらく現在は3歳くらいの愛着状態。
親から離れての探索行動の時間は短いです。
失敗した、不安になった、見守ってほしいとなるとそそくさ私のもとに帰ってきて抱っこを要求します。
その感覚、なんと5分(家にいる状態です)
学校生活でこれはできません。
長い時間を自分自身で感情や行動を制御して行かなければなりません。

なので、次女が行き渋りを始めたのも「やっぱりな~。」くらいの気持ちで受け止めました。
先がどうなるかは皆目わかりません。
でも、とことん付き合うしかありません。

実は私も幼少期は母と離れがたい子供でした。
小学校は拒まず一人で行きましたが、寂しさでいっぱいで泣くことがありました。
なので、何となく気持ちが分かるのです。

大人の「大丈夫。先生優しいよ。お友達もいるよ。」なんて言葉は、おそらく空虚なものでしょう。
だって一緒にいたいのは安心できるお母さんなのですから。
誰が優しかろうが、楽しかろうが、とにかく今はお別れすることが辛くて仕方がないのです。

大人になった今、大人には大人の事情があることがよくわかっています。
でも、子供の心に寄り添う時間もやはり大切だなと思います。
どうして不安なのか聞いてあげる。
「そうか、不安なんだね」「寂しいんだね」とその気持ちを受け入れてあげる。
知ってもらって受け入れてもらえることは、子供にとって「分かってもらえてるんだ」と自信につながります。
また話そうという気になります。

「そんなこと言ってないで」「もう小学生なんだから」とついつい言ってしまいがちですが、
自分が悲しい時に同じようなことを言われたら、大人だって凹みますよね。
そういう相手に相談し続ける気になるでしょうか?

子供の心は全てではないにしても、忘れてしまっていることが多いです。
でもゆっくり思い返してみれば、小さなころ悲しかったこと、不安だったことを思い出せるのではないかと思います。
その理由は大人からしてみれば些細なことが多いでしょう。
でも子供にとっては多くのことが初体験で、気持ちの扱いもまだ不慣れなのです。
大人のように割り切って対処はできません。

大人は時間に追われて生活します。
学校に遅れないように送り出し、自分は仕事に、または家事に。
でも、ほんの数分。
子供の心を聞いて、寄り添ってあげる時間を持てないほどでしょうか。
小さな積み重ねで、子供の心が自由に、軽やかに大らかになれるのであれば、
それは素晴らしい投資になるのではないかと思います。

かく言う自分もイライラして、寄り添えないことがたくさんありますが
日々修練ですね