突然ですが、今日は昔のお話。

ののこ昔話ハタチver

Twitter友達のからぽん
何気ない会話から思い出した出来事があります。

 

 

 

にっこりポリシー違反にならんように書くんやで!
 

そう、ちょっとキーワードが心配なので
びくびくしながら書くことになります。

でもここはリア友にも失笑されたし、
ハッキリと証明しておきたい。

私が〇じゃないことを。

 

 

 

にっこり〇は読み進んでいくと分かるってことやな
 

それはそれは二十歳(はたち)の頃のお話。
もう22年も前になるんですね…。
 

今思い出す二十歳の頃

ちょっとしんみりしちゃうんですが、
二十歳の頃、母が他界しました。

そのあとしばらくドーンと落ち込んで、
反動でドーンとはじけた時期がありました。
 

母の死をきっかけに性格が良くも悪くも変わって、
交友関係も広がりました。

それまでも積極的で活動的で
言いたいことは言うthe大阪人な性格でしたが、
そこにちょっと大人の付き合いが入っていった感じです。
 

母がいなくなったのは桜の季節が終わった5月。

大学二年生になったころでした。

大学(沖縄)は休学せず通っていたはずなんですが、
そこはあんまり記憶がなくて、

ただ毎晩、北谷にある砂辺というサーフィンのスポットに原付で通って
朝まで海を見ていました。
それしか覚えていないほど心が無でした。
 

その反動でか夏休みは大阪に帰って、
石垣島出身の女の先輩(ジョオウ)と遊びまくりました。


 

この石垣出身の先輩ジョオウと知り合ったのが
宮古島出身の共通の友達(ミヤコ)がいたからなんですが、

ジョオウとは沖縄の北谷のクラブで出会いました。

あのとき2002年の夏、
ケツメイシとかジャパレゲが熱くて
毎晩毎晩飽きもせずジョオウとクラブに通っていました。
 

 

 

 

にっこり三木道山、Def Tech、m-flo、とかね

 

目がハートそういやDragon Ash 好きな先輩のこと好きだったな…

 

 

ジョオウには母のこと話したことはなかったんですが、

ミヤコから聞いていたはず。

 

ジョオウは知っていたんですが

私がそのあと母の話をするまでは敢えて触れてきませんでした。

 

ジョオウって何者?

毎晩クラブに通う私とジョオウ。

 

私は大学生だからいいものの(良かったの、あの時代は)、

 

ジョオウは大学に通っておらず

毎日何もしていませんでした。

 

聞くと、3か月大阪に行って

短期で働いて

お金貯めて

沖縄に戻って

遊んで

また大阪で働いての繰り返しだそう。

 

ジョオウの見た目はまさに全盛期の椎名林檎ちゃんそのまんま。

 

 

 

石垣出身の人って
私の偏見か沖縄特有の濃さがなくて、
内地の薄さも混ざっていて魅力的なんですよね。

おまけにスタイルもいいし、愛嬌もあるからとにかくモテる。
 

そんなジョオウとほとんど毎日のように顔を合わせると、
不思議かな、私も変わってくるんですよね。

新しい友達、刺激的な目まぐるしい日々、

それがあの悲しみのどん底にいた私を支えてくれたと思います。
 

そんなときジョオウが「そろそろ大阪に帰って働かないと」と言い、
私も避けていた大阪ですが帰省することにしました。
 

ジョオウとの大阪

大阪に帰っても相変わらず毎晩心斎橋のクラブ。

そこに高校時代の友達も加わって、
新しい友達もできて、今思えば人生で一番人に囲まれていた時だと思います。
 

 

悲しいひとりになるのを避けていたんやな…
 

 

父も母がいなくなって、抜け殻のようになっていたし、
兄たちは就職した会社で鬼のように働いて悲しみを紛らわしていたし、
家族はバラバラ。

 

母のことを誰も知らない新しい仲間との新しい世界に
居心地の良さを感じていました。

それくらい母の思い出があちこちに残された大阪にいることは実は辛いことでした。
 

ちなみに今だからこうやって話せるようになったように、
あの時、母の死を知っていた友達や家族を避けていたけども、
それは時間が解決してくれました。(もちろんジョオウともまだ友達)
 

ある日の出来事

そんなある日、大阪アメ村の暑い暑い日のことでした。
ジョオウと歩いていたら、ずっと私たちのことつけてくる男の人がいました。
 

ジョオウがまあモテるから
またナンパかなと思っていたんですが、
ずっと声をかけずにニヤニヤしてじろじろと見ながらついてくる。
 

「あ~めんどくさいなっ」とジョオウが言って、
その男の人の方へ行きました。
 

「何?何か用?」
 

びくっとしながらも、
目の前にジョオウが来るもんだから嬉しい顔をして顔は真っ赤な男性。
 

「あ…あの…、それがですねぇ…」
 

もじもじして全く話にならない。
 

「何?こうやってついてこられると気持ち悪いんだけど!」
 

誰なの?
何の用なのよ?
早く言いなさいよ?とジョオウが責めるように言うと、

ますます「いえっ、あの、私…」と動揺しながらも笑顔になっていく男の人。
 

まじか…とジョオウ。

はぁーっとため息をつき、

「なに?どうしてほしいの?」と。
 

その二人の姿を見守る私。

あの男の人なんだろう、ナンパかなーと思っていたら、

男の人が跪いて
 

突然、
 

ジョオウがその男の人を踏んだ。


 

ほんとこんなくらいのハイヒールで顔踏んだ。
 

顔踏んだ。
顔踏んだ。
顔踏んだ。

 

「もう後つけてこないでよ」というジョオウ。
 

何があったのか近くに行ってみると、
男の人がどうやら踏んでくださいといったよう。

そして踏んでもらった男の人は嬉しそうに
1万円をジョオウに渡していました。
 

 

凝視僕なら1万円もらってでも踏まれたくない!
 

 

2000年代なんてそんな時代だったんですよ、若者よ…

ちゃうちゃうとツッコミが聞こえるが。

 

ののこも挑戦!?
 

え、踏むだけで1万円ももらええるの?
と思った二十歳の私は、すっかり満足げな男の人に言いました。
 

 

私も踏みましょうか?
 

 

すると今まで弱々しくニタニタしていた男の人が、
まじめな顔して自信をもってはっきりと言いました。

 

いや、君は違うから。
 

 

 

やはりそっちの人には分かるようですね、
正真正銘のジョオウ様とただの一般人(私)と。
 

ジョオウの正体

実はジョオウは大阪では有名なSMクラブの正真正銘女王様でした。

3か月働いてというのはこのクラブでのこと。
かなりの売れっ子で結局この3年後に結婚して引退するわけですが、
かなり惜しまれたそうです。
 

この男の人がジョオウのことを知っていて近づいたのかは謎ですが、
そっち系の人には町ですれ違うだけでもわかるようで
今思えばあの異常なナンパには理由がありましたね。

溢れ出る色気!声とかでもわかるらしいです。

 

まとめ

忘れもしない二十歳の夏。

あの時の出会い、出来事は、今でも鮮明に思い出せます。

あんなに寝ないで遊んで踊った夏はありません。
悲しみに明け暮れていた私は新しい世界を見て
どんどん強くなっていったと思っています。
 

 

からぽんとの他愛もないやり取りから思い出した二十歳の夏のこと。

ほら、言ったでしょ。

 

凝視ののこさんは決してSじゃなかったね
 

 

そう、あの日、どMの男の人に
「君は違うから」とはっきり言われてから、


私は決してS側の人間じゃないことを自負して
今まで生きてきました。

 

ありがとう、あの時の男の人…

 

私は踏んでも
1万円もらえない側の人間…。

 

 


母の死は20歳の私に色んな影響を与えた・・・