長い長い海外生活(韓国)を終えて、
日本に帰国したのが3年前2019年のことでした。

2017年生まれの双子の息子ハンとソロが
1歳9か月のころに日本へ帰国。東京へ移住しました。

日本帰国を決めたワケ

それはただ一言。

次男ソロの喘息問題…
 

次男ソロがこのままだと喘息になると言われました。
気管支喘息です。

その理由は大気汚染。そうPM2.5です。
 

PM2.5(大気汚染)に泣かされた私たち

2006年に初めて韓国に行ったときより
比べ物にならないほど、韓国(ソウル)の空気が悪くなっていました。

それでも当時、子供もいない私は気にせず、
マスクしてたらいいかくらいの軽い気持ちでした。
 

しかし子供が生まれてから一転。

気になる気になる!!

毎朝韓国政府から
「空気が悪いから外出はするな!」というメッセージを見るたび、
不安になりました。

 

まだマスクもできないほど小さい赤ちゃんだったソロが
PM2.5の悪い空気を吸って毎晩のように咳込み、
アレルギー反応で顔も真っ赤になっていました。

その姿を見るたびに胸が苦しかったです。
段々、PM2.5のメッセージを見るのもストレスで辛くなりました。

 

悲しい外出できない日々だったよね

 

それは日に日に悪化し、
外に出なくても家にいるだけでもソロは咳込むようになりました。

窓の隙間から埃は入り込み、
出社して帰宅した主人の服にも付着していたようです。

 

友達に会うにも室内のキッズカフェばかり。

会う前にはPM2.5アプリで当日の汚染度を確認するほど。

空気が悪ければ「会うのはやめよう」なんて日常茶飯事でした。
 

きっかけとなった父の一回忌

双子ハンとソロが生まれて
2週間後に他界した父の一回忌があるため、大阪に帰った時のこと。

 

ソロが全く咳をしなくなったんです。
 

ソロが咳込む姿を見るたびに
心苦しかった私と主人のヨーダは驚きました。

大阪にいる数日間、うそのように咳をしないソロ。

そして大阪では毎日青い空、星空が見えるんです。
 

外遊びも思いっきりして、ハンもソロも楽しそう。
毎日朝から外に行きたがり、ずっと泥んこになるまで遊びました。

本来こどもってこうやって青空の下で思いっきり遊ぶもんだよな…と感動しました。

 

日本移住のためにすぐ行動したヨーダ
 

主人ヨーダも私の意見に賛同し、
すぐ日本への転職先を探し始めました。

幸いなことに主人は日本語も出来、仕事内容も日本でできるもの。(IT関係)
 

結果、東京にある会社に転職が決まりました。
 

不安残された問題は姑舅。ヨーダのご両親です。
 

義理の両親は日本移住をどう思ったか
 

ヨーダは長男ではないので、日本に住もうがどこに住もうが重要ではありません。

 

長男だったら両親の近くに住むという暗黙のルールがあります。
 

しかし義理の両親にとって息子より可愛い

それも可愛い盛りの1歳
 

しかしソロの気管支喘息について、

大気汚染が原因だということは義理の両親も知っていて心配していましたし、
外遊びができないことも残念がっていました。

なので日本に移住することを伝えると、仕方がないと理解はしてくれたものの寂しいと。

 

悲しい今みたいに会えなくなるなんて…

 

日本移住。その後コロナ到来
 

それから2019年夏前に無事、東京へ移住。

私の職場も決まり、
双子の保育園も決まり、
ヨーダも新しい会社に慣れたころ、

2020年初、コロナ到来。
 

結局、義理の両親は2019年の夏と
12月に日本へ遊びに来たのが最後。

その約2年後2021年の11月に私たちが韓国に行くまで全く会えませんでした。

 

 

不安飛行機でたった2時間半ですからっ!なんて言ったのに、
東京に移住してから結局2年半も韓国に行けませんでした。


ちなみに2021年11月に行った時も
PCR検査やワクチン接種証明書、
隔離免除申請など渡航1か月前からバタバタで、

当日も成田ーインチョンしか飛んでいないため
羽田ー金浦より大幅に時間がかかり、

早朝5時に家を出て義理の両親の家に着いたのがもう夕方。

丸一日かかりました。げっそりです。
 

まとめ

息子ハンとソロに思いっきり青空の下で遊ばせてあげたい!

そんな私たちの願いで日本移住が決まりました。

その夢は叶ったものの、
そのあと始まったコロナで韓国の義理の両親となかなか会えず、胸が痛みます。

 

空気がいい日本に移住したのに、
マスクをしなければならなかったあの時の状況は
私が思い描いていたものとは異なりましたが、

でもやっぱり夜中に咳込むこともなく、
青空の下走りまわる息子の姿を見ると日本に来てよかった、
あの時決断して正解だったと思います。

 

子供のために決めた日本帰国だったけど、
私にも最良の決断となりました。