相手について感じたたことや改めて欲しいことなどを伝えるとき、

「あなたは・・・・・だ」とか「(どうして・・・・・したのか?」「・・・・・ですよねえ」

2回位似たようなことが続くと「いつもあなたは・・・・・なんだから」

このようなことを強い口調で、断定的な言い方で言ってくる人がいます。

上に立っている人かもしれません。あるいは、自分の要望や都合、

感じていることが、常にうまく表現げきなくて、押さえ込んでいた感情に

火がついたのかもしれません。

どちらにしてみても、攻撃的に感じられる言動はまっすぐ相手の中に入っていきません。

『何か、不愉快だ』『その言い方何?』そう思える人はいいのですが、

たとえ口に出さなくても、自分の中で処理できますから。

相手が、自己評価が低かったり、自分に自信がなかったりすると、

言われたことを改める方向ではなく、『やっぱり自分はダメなんだ』とか

『嫌われてる』とかそんな方向に落ち込んできます。


また、『アサーティブトレーニング』 新水者 から事例を引用してみます。


状況: いつもより遅く帰ってきたよつばが、「あ、ごめん、ごはん、食べて

     きちゃった」といいました。


  YOUメッセージ


  ① 「よつばはいつもそうよね。自分の都合だけしかないんだから。少しは

     作るママの身にもなってよ。どうするこれ!(といって残った食事を

     指さす)」

  ② 「あら、そうなの?私は自分が待つのがイヤだから言ってるんじゃない

      けど、

     連絡ちゃんとしてくれさえしたら一人分無駄にしなくてすんだのよね。

     せっかくあなたの好きなハンバーグにしたのに、あなたの分は

      どうしましょう、

     まあ、私が 明日同じもの食べればいいってことね。あらあら、こんなに

     さめちゃったわ。 (とため息をつきながら、食べ始める)」 


    今度続けます。

前回、話の輪ってことお話しましたね。それをもうちょとみていきたいと思います。

話の輪ってことは、繋がりがある、流れがあるってことです。

まず、考えることは、そこにどんな人たちが集まっているかってこと。

家族なのか、職場なのか、友人か知人なのか、

趣味などで集まった人たちなのか、ってこと。

何の目的か・どんな関心があるかで話の内容は変わってきます。

会話はキャッチボールてす。相手が取りやすいボールを投げてやり、

相手のボールも、しっかりと受け止め、返してやる必要があります。

そして、話がそのやり取りの中で発展していくように。

一方的おしゃべりって、相手を疲れさせるだけです。何も伝わりません。

自分の考えが絶対的、と思っていたり、自分が受け止められたい、

理解されたい、それしか頭になかったりと、人の立場に立つことができないとき。

自分に自信がないとき、人への恐れがあるとき、苦手な人の前に立ったときとき。

現実と向かい合えない、何かいつも曖昧さのなかにいきているとき。

このような時、自分の話は伝わりにくいし、会話が発展して

豊かさをもたらすところまでいきません。

そうすると、ますます、会話から遠のいてしまいます。



コミュニケーションで大切なことは、話の輪に入っていくということ。

親しい友人とか、家族では、時にはいいかもしれませんが、自分の今頭にあること、

言いたいことを喋るということ。まあ、それも切り出してみて、相手や周りの反応が見れて

それに合わせて、切り替えてていかれればよいのですが。

時々、自分の言いたいことだけ、一人しゃべりする人がいます

たまたま、その内容が話題になっていて、自分の体験とか考えを話す。

というのはいいのですが、または、話の初めとか、切れ目に

、問題提起するような形で持って行くとか、質問形式で、持っていくのはいいと思いますが。

いつ会っても、ニュースの事件の話や、自分のカード払いの

やりくりの話しかしない人がいます。

それから、職場などで、愚痴。ある程度は出せるところはいいなと思いますが。

人に言うことで、人の反応で、自分だけではなかった。

相手にも問題があったとか。自分の思い込みだったと、

知ることができることがありますから。

一般的に、愚痴を言う人は、いつも決まっていて、

足りない面ばかりが、見えているのでは?と思われることが、よくあります。

ある職場は、皆がある線はしっかり守っていて、「今日こんなこと言われたのよ」とか

「こんなことがあったのよ」みんなが一緒に腹立ててくれて、「そうよ、そうよ」

それで発散できてしまう、というろころもありました。

比較的、理想的な、井戸端会議がお茶の場で実現していました。

職場に、自分を正当化するための仲間づくりをする人が時々いますが、

それはやらないほうがいいと思います。

それは、言うべき人に言えない、叱責が受け止められない、

現実と向かい合えない人がよくやります。