旅のこと
茨城の農場を離れてから1年弱の間、日本のあちらこちらを旅してみた。
これから自分はどこで何をして、どう生きていくのか、、模索しながら。
移動を重ねる旅では多くの人と出会い、新しい経験をし、得難いものをたくさん得た。
毎日新しい事が起きるが、自分と会話する時間もたっぷりあった。
振り返っても今までにこんなに豊かな時間はなかった。
新しくたくさんの事も学んだ。原発と自然エネルギーについて。森について。ダムについて。
他様々なこと。。知らないことすら知らない美しい自然をたくさん見た。
かけがえのない時間だった。
しかし続けるうちに次第に旅が辛くなってくる。どこへ行っても自分はよそ者であり傍観者なのだ。
地に根ざして生きている人々を見れば刺激をもらうけれど、そんな彼らの事すらも、
同じように地に根ざして、共に何かを創ったり、協力したり、
日常の中で交流するような事がなければこれ以上深くは知り得ないと思ったし、
日本中どこへ行っても素敵な人、面白い人はたくさん居るし学べるし刺激にはなるけれども、
せっかく遠く移動して会いに行ったとて表層をさらうばかりではだんだん出会う意味は薄れてゆき、
見学してもそれらは他者の生き方であって自分のそれではなく、
だから私は私の道を切り開く為にはやはり見ているのではなくて今すぐにでも何か始めなければ。
と、そう切実に思った。
何より語るべき現在の自分(ないしはフィールド)がない事は自分に対してとても寂しいことだ。
だから旅はおしまいにする事ができた。
(おそらくはこれからまた別の類の、もっと実質的な「暮らし」という旅が始まるのだけれども。)
旅に限界を感じることは、始めから想像は出来ていた。
しかし旅に出るまでは想像に過ぎず、想像ではだめなのであって、必要なのは体験経験で、
自分を納得させる事が一番難しくも大事な事なのだから、全ての結果は成功だったんだろう。
人生は長いようでいて、どうやら短いみたい。誰のいのちも限られたものなのだと、、
最近は本当にそれを実感する。当たり前の日々の繰り返しが私を未来へゆっくりと、しかし確実に運び、
いつの間にか歳を重ねてゆく。
私はこれからどんな日々を重ねてゆきたいのか。どう歳をとりたいか。
残された生命の時間、私はどこで誰と何をして過ごしたいのか。何ができるというのか。
役割を知り、己を知り、決めてゆくこと。峠に立つこと。
自分の人生に大きな笑顔を携えて。
何のご縁かわからない。すべてがつながっているのだから、どれ一つ欠けても今の選択は出来なかったろう。良いとか悪いとかいう事は判断出来ないししないけれども、ただ、ただ、自分が選択したすべての事を愛したいと思う。いや選択、というべきか、それはもっともっと大きな、自分を動かすひとつの「力」とか「流れ」のようなものかもしれない。そんな神さまが差しのべてくれた手を取って、安心して委ねてみようと思う。
今ここ安曇野の地に、根っこを張ろうとしている。
安曇野の人とのご縁と、水と野菜と穀物と、ほんの少しの肉や魚や卵が、これから私の体を作ってゆく。