暮らしを自分たちでつくろう!!

さて暮らしをつくるとは?!


着るもの、食べるもの、住まい方。

どこで誰と何をして、何を選び、どう楽しんで生きる?

見えなくなったつながりの中にこそ、「本当」がある。

人としての喜びがあり、誰かを傷つけないやさしさがある。


ひとりぼっちの世界から、みんなで手をつないで助け合う世界へ。

そんなつながりは縦横無尽に。

そう、7世代先のこどもたちまで!

誰かを想い、やさしい気持ちを持ち寄って

それが誰かのしあわせにつながっていくこと

それってなんてしあわせなんだろう。


そう。そうやってしあわせはめぐりめぐるもの。連鎖してゆきます。

そのために、今できること、したいこと。


ののはなな企画室ではその実験と実践をしていきたいと思います。

旅のこと


茨城の農場を離れてから1年弱の間、日本のあちらこちらを旅してみた。

これから自分はどこで何をして、どう生きていくのか、、模索しながら。


移動を重ねる旅では多くの人と出会い、新しい経験をし、得難いものをたくさん得た。

毎日新しい事が起きるが、自分と会話する時間もたっぷりあった。

振り返っても今までにこんなに豊かな時間はなかった。

新しくたくさんの事も学んだ。原発と自然エネルギーについて。森について。ダムについて。

他様々なこと。。知らないことすら知らない美しい自然をたくさん見た。

かけがえのない時間だった。


しかし続けるうちに次第に旅が辛くなってくる。どこへ行っても自分はよそ者であり傍観者なのだ。

地に根ざして生きている人々を見れば刺激をもらうけれど、そんな彼らの事すらも、

同じように地に根ざして、共に何かを創ったり、協力したり、

日常の中で交流するような事がなければこれ以上深くは知り得ないと思ったし、

日本中どこへ行っても素敵な人、面白い人はたくさん居るし学べるし刺激にはなるけれども、

せっかく遠く移動して会いに行ったとて表層をさらうばかりではだんだん出会う意味は薄れてゆき、

見学してもそれらは他者の生き方であって自分のそれではなく、

だから私は私の道を切り開く為にはやはり見ているのではなくて今すぐにでも何か始めなければ。

と、そう切実に思った。

何より語るべき現在の自分(ないしはフィールド)がない事は自分に対してとても寂しいことだ。

だから旅はおしまいにする事ができた。

(おそらくはこれからまた別の類の、もっと実質的な「暮らし」という旅が始まるのだけれども。)


旅に限界を感じることは、始めから想像は出来ていた。

しかし旅に出るまでは想像に過ぎず、想像ではだめなのであって、必要なのは体験経験で、

自分を納得させる事が一番難しくも大事な事なのだから、全ての結果は成功だったんだろう。


人生は長いようでいて、どうやら短いみたい。誰のいのちも限られたものなのだと、、

最近は本当にそれを実感する。当たり前の日々の繰り返しが私を未来へゆっくりと、しかし確実に運び、

いつの間にか歳を重ねてゆく。

私はこれからどんな日々を重ねてゆきたいのか。どう歳をとりたいか。

残された生命の時間、私はどこで誰と何をして過ごしたいのか。何ができるというのか。


役割を知り、己を知り、決めてゆくこと。峠に立つこと。

自分の人生に大きな笑顔を携えて。


何のご縁かわからない。すべてがつながっているのだから、どれ一つ欠けても今の選択は出来なかったろう。良いとか悪いとかいう事は判断出来ないししないけれども、ただ、ただ、自分が選択したすべての事を愛したいと思う。いや選択、というべきか、それはもっともっと大きな、自分を動かすひとつの「力」とか「流れ」のようなものかもしれない。そんな神さまが差しのべてくれた手を取って、安心して委ねてみようと思う。


今ここ安曇野の地に、根っこを張ろうとしている。

安曇野の人とのご縁と、水と野菜と穀物と、ほんの少しの肉や魚や卵が、これから私の体を作ってゆく。



ののはなな企画室



ののはなな企画室



着るもの、食べるもの、住まい方。そんな日々の暮らしぶりをふりかえってみる。

さてだれとどこで、何をして、何をえらび、どう楽しんで暮らそうか。


現代社会の中で見えづらくなってしまった「つながり」の中にこそ、“本物”はある気がする。

わたしたちはいろんなモノに囲まれて生きているけれど、

現代の複雑な流通システムの中で、それがどうやって手元に今あるのか分からなくなってしまった。

見えなくなったもの、「つながり」をたどってゆき、つながりを手に戻すことの中に、

どうやら幸せが隠れているらしい。

自分がしあわせで、そして誰かを傷つけないはずの、当たり前であるはずの暮らし方の処方。

それをいま一度、探究する暮らしの旅に出たい。


現代人の多くがかかえている、どこから来るのか分からない不安。

それは先行きの見えない日本社会への不安なのか、自分自信への不安なのか。

おそらく両方だろう。

本来必要な生活の技術と生産の全てを他人の手に委ねてしまっているというのに、

動物として不安を覚えないはずがない。

現代の細分化された効率的な生産過程の中では、もう私たちは想像することすら許されない。

根底の部分で、自己信頼を喪失してしまった。分からないからもう考えない。考える必要もない。


しかしそれは本当か。

私たちはもっと直観的に、動物的に、実はもっとリアルを生きたいと思っている。

田舎暮らしや農的暮らしが流行る昨今。

地産地消が叫ばれる昨今。どうしていいか分からないけれど、多くの人がどうにかしたいと思いはじめている。

もっと知りたいと思っているし、変えられるものなら変えた方が良いとも思っている。


そんな思いを持つものどうしで協力して、思いを形にしていく為の暮らしにまつわるエトセトラを企画できたら良いなぁと妄想中です。



ののはなな企画室 2011.2.10