おはようございます

今日は涼しい朝を迎えています

もう少しで梅雨明けかな?
子ども達の夏休み入りももう少しです


前回の投稿


こちらは両親への感謝たっぷりの想いを

書き上げましたが


そうは言っても…



両親も人間ですので

わたし達親子・家族にとっても

感謝だけではない

様々なことがあり

様々な感情を味わいながら

過ごしてきました




わたしが子どもの頃から

両親は人付き合いとお酒が好きな人達でした


仕事仲間や両親の友人達が

我が家で飲食し

お泊まりしていく…なんてことは

しょっちゅうで


自宅のトイレなのに

廊下にお客さんが並んで

自分も一緒に並ぶことも

しょっちゅう


賑やかな家の中が当たり前で

仲間に慕われる両親を見ては

子どもながらにちょっぴり誇らしく

思っていたりもしました



でも

いつからか

父は

お酒のコントロールが効かない状態に

なっていました



わたしが就職をして

大人になってから気がついたことです


あれ?と思った感覚を頼りに

インターネットで調べた

『アルコール依存症』


言葉を失うほど

そこに書かれていた言葉は

父そのものでした


そして

母もまたイネーブラーそのものの状態



慌てて印刷をして

両親に読んでほしいと渡すものの

(今考えると読む訳ないんですけどね)

『心配しないで大丈夫よ』の返事



父はお酒を飲んでも

暴力・暴言がなかったので

大きな問題にはなっていないけど

でも明らかにお酒に対するコントロール力を

失っている状態


どうしたらいいものか…と考えてはいるものの

大きな問題がある状態ではなく

両親は気にしている様子もなく

モヤモヤしたまま過ごしていました



わたしが結婚をしてから

アルコール依存はどんどん進行し


遂に母が脳溢血で倒れてからは

ますます父のお酒に対するコントロール力は

制御が効かなくなり

身体を壊すほどになりました



母が入院していた頃

兄の仕事の都合上

一時的に

父は我が家で暮らしていたのですが

その間に病院へ行って欲しいとお願いし


アルコール依存の専門病院へも

一緒に行きましたが


『否認の病』と呼ばれる依存症


本人が認める段階ではなかったので

そのまま通院・入院には結び付くことは

ありませんでした




それでも

わたしに何か出来ることはないかと

専門機関で相談したところ

『娘さん

 あなたはあなたの回復をしてください

 お父さんではなく自分の回復です』と

家族会へ参加することを勧められ


アルコール依存症の家族として

苦しみを抱えたことを認め

自分の回復に向けて

父が亡くなるまで

アルコール依存症の家族会へ足を運んでいました



その後

父も高齢者施設で暮らすようになりましたが

それでもお酒をやめられず

何度も救急搬送されるようになり

だんだんとお医者さんから掛けられる言葉も

父の最期に向かっていることを

感じざるおえない状態でした



父の訃報が入った日

わたしは幼稚園の役員会をしていて

休憩中に見た

スマホの画面には


高齢者施設

の順で着信があり


目にした時から

周りの音が無くなったような感覚になって

他の役員さんに伝え外に出て

深呼吸をしてから

兄に電話をすると


『落ち着いて聞けよ』と

電話口で言葉にしてくれた兄に

『うん。大丈夫』と伝えたことを覚えています



書ききれない程の想いを

兄もわたしも抱えていました


アダルトチルドレンという言葉は

元々は

アルコール依存症の親元で育った

機能不全家族の子どもに使われた言葉と

耳にした時

自分の深いところで納得



両親への感謝もあるけど

こんな苦しいこともね

あったんです


でもね

やっぱり

わたしは憎むことができなかった


やっぱり

感謝ばかりが今でも浮かびます



感謝があるから

感じないようにしてきた感覚なのかもしれないし


苦しみに蓋をしたくて

感じないようにしてきた感覚なのかもしれない



それは今でもよく分からないけど


両親が

一生懸命生きていたことも

一生懸命わたし達を育ててくれたことも

無かったことにしたくないのかな


でも

わたしが苦しい想いをしたことも

無かったことにしないようにしないとな


そんなことを

長年ぐるぐるぐるぐる考えています



今のわたしが思うのは

どの感情もわたしの感情だし

全部感じていた自分の感情だから

どっちに限定しなくていいし


感謝も苦しみも

どちらも感じていて

大丈夫だよって

自分に伝えてあげたいなと思っています



なかなかね

言いづらいよね

ありがとうって気持ちがあるのに

苦しかったなんてね

うん。わかるよ


って

自分と会話をしていると

ほっと安心します




自分が親になり

両親から学んだことを

自分の子育てに繋げていくことが


わたしがいちばん納得して

この苦しかった事の

本当の意味を捉えられるようになると

ずっと思っているので




両親へ

感謝してきた部分は

自分の子育てにも取り入れて

苦しかった部分は

ここで苦しみの連鎖を絶ちきれるように


そう強く思って

子育てに繋げて向き合っていれば

きっとこの事も昇華していくだろうと

そう信じています



どのお家も

みんなね

良いことばかりじゃないし


親である

わたしもまた

苦しみを生み出していることも

もちろんあるだろうし


完璧じゃないことを受け入れながら

自分が大切にしていきたいことを

大切にしながら子育てしていけるようにと

思いながら

今日もまた母親をさせてもらっています



子育てって

すごく“自分”を感じるなって思います


どんな経験も

自分のなかに生きているから


どう繋げていくか

それは自分で選ぶことができるし


その想いは子ども達に

まっすぐに届いていくものなんだなと


娘としてのわたしも

母としてのわたしも

どちらの自分も感じています