夜のような水面。
コロコロと耳の後ろをくすぐるような、心地よい音。
とくん、とくんと鼓動が重なる。
もうすぐだね。
君はどんな約束をしたの?
愛されるために、生れてくるんだ。
この闇をくぐりぬけて、光の道へと旅をするんだ。
ボクが道しるべ。
さぁ出ておいで。
**********
ガラス越し。
小さなプラスチックのベッドの中。
頭の上には久保ベビーと記入された、淡いピンク色のプレートが掲げられていて。
真っ白い産着を着た小さな小さな命が、時々ピクンと身体を動かしながら目を閉じて眠っている。
「赤ちゃんって、ほんと小さいんだなぁ」
「シュウが生れた時も、今日みたいに晴れて空がきれいだったな」
小さな五歳児が、懐かしそうに瞳を細める。
シュウは泣き声も細くて、母乳を吸うのがへたくそなわりに、良く眠る赤ん坊だった。
「今じゃほんとこんなでかくなって」
見上げるまなざしはとても穏やかで優しい色。
「そう?」
その問いかけにニヤリと片方だけ口角をあげて、ふっと笑いながら姿を消す。
ルキが突然消えるのは特別驚くことでもなくて、視線を生まれたばかりの赤ん坊に移すとほぼ同時に。
「し、しゅうう?なに、来てくれたの?」
一番奥の病室から顔を覗かせた親友が、驚いた声をあげて廊下を駆けてくる。
その表情は、赤く泣きはらしたままで。
そろそろもっともらしい理由をつけて、ノゾムにもルキを紹介しようか。
気配を消したルキを想いながら、ノゾムに笑いかける。
「あれだけ電話口で泣かれたら、来たくなるでしょ」
「しゅううううう。オレもう超やばい。娘だよ娘。判ってたけど、娘なんだよぉ」
少しだけ照れくさそうに、幸せそうに頬をゆるませて、またこぼれそうになる涙をぐいっとフリースの袖で拭う。
「元気に生まれてよかったな、おめでとう。ノゾムもパパかぁ」
「パパ・・・なんて甘い響きなんだ・・・娘はおまえにはやらんからな」
「・・・年の差考えろよ。オレにしたって娘だろ?」
「三十時間・・・。ミドリが三十時間以上かけて命を繋いでくれている間、俺には何もすることがなかったんだ。男は無力だぞ。だからこそ、命に代えても護りたいって思うんだろうけどな。おまえも早くこの無力な幸せを味わってみろよ」
「・・・まぁ、そのうちね」
泣きはらした眼差しを新生児室に向けるノゾムを見ていると、こっちまで幸せな気持ちになってくる。
か細い泣き声。
シンと静まり返って、穏やかな空間にふたり。
「・・・ノゾムさん!」
静寂を破るように、パタパタとスリッパを鳴らしながら階段を上がってきたのは、ノゾムの店のスタッフ、ライヤだ。
「無事、生まれたんっすねっ!!」
まるで自分の事のように目を潤ませて駆け寄ってくる。
「店の事なら心配しなくて大丈夫です!オレ、ちゃんと仕切りますから。ゆっくり産休取ってください!」
「え。オレが産休?いらんて」
「どうしてっすか!って、あ。シュウさんこんにちはっ」
ノゾムに輪をかけてにぎやかなライヤがぺこりと頭を下げる。
そろそろテンションを下げないと、看護師さん達からチェックが入るぞなんて思っていたら、案の定。
「すみません、お静かに願いますぅ」
窓口から、遠慮がちに、けれど有無を言わせず声が飛んできて。
ふたり同時にしょんぼり肩を落とす。
「いいコンビだな」
小さく笑いながらつぶやくと、ライヤが晴れわたるような笑顔を浮かべて瞳を輝かせる。
「親友のシュウさんからそんな風に言ってもらえるなんて、光栄っす!って、ところでベビーちゃんはどこです?」
クルクルと表情を変えて、今度は新生児室のガラスにピタッとはりつく。
「おまえにもやらんぞ」
そう言いながら、隣でノゾムが我が子を指して眉も目じりも下げる。
こんな風に並んで新生児室を見る日が来るなんて、中学生だったあの頃には想像すらしていなかった現在が、ここにある。
**********
「うまいよね、絵」
進んで人と関わる方じゃなかった。
本を読んだりノートの端に落書きをしてみたり、教室でもそんなに目立つ方じゃなくて。
友達と呼べる奴もいなかったから。
いきなり話しかけられて、一瞬言葉に詰まる。
「・・・どうも」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・?」
「どうもって、どうもだけ?これ、俺が描いた絵だよってイロイロ見せてくれたりしないのかなぁ?」
「・・・うん」
なんだよそれぇっとかなんとか。
大きくため息をつきながら、ダメだしをしてくる。
その意図がよく判らなくて。
不思議に思いながら、目の前のクラスメートを見る。
クラス替えをしてから半年たっても別に興味もなくて、クラスメート達の顔と名前はほとんど一致していなかったから。
コイツの名前も当然覚えていなくて。ただ、わりといつも賑やかな奴って印象だけはインプットされていたような気がする。
「チラッと見えたけど、すごくね?今度、俺になんか描いてよ!」
そのひとなつっこい笑顔に、忘れてしまいたい記憶が重なる。
無邪気に絵を描いてとせがんでは、じゃれてきた弟。
今はもういない・・・。
「ごめん、そういうの迷惑・・・」
ぐぅっと胸の奥の感情がもやもやしたままこみあげてくるから。
ノートを閉じて、顔をそむける。
それが失礼な態度だって頭では判ってるのに。
コイツは弟の事も、何も知らないのに。
棘を含んだ言い方をして突き放そうとする。
ハッとしたように息をのんで。
悪くもないのに『なんか、ごめんな』って言うから、余計にイライラして。
ぐらぐらする頭にうんざりしながら、顔をしかめてギュウッと目を閉じる。
音を、気配を、心を閉ざす。
ここには何もない。
誰もいない。
頼むから、かまわないで。
お願いだから、ひとりにしておいて。
~~~続く。~~~