「何を感じてもいいんだよ」
と言われても、
感じたくない感情や感覚があった私。
ノートをすることで、
感じたくない感情を感じることが自己否定に繋がっていたことや、
感じることを選り好みしている自分に気付きました。
でも、それでは、
「生きることを楽しみたい」
という私の願いとの辻褄が合ってない。
「感じたくない感情や感覚まで
 感じるのはイヤ」
そう思っていたけど、
私の生きたい"生きる"を叶えるためには、
それらを感じることも認める必要がある。
もう降参して、認めるしかない。
そう思いました。
もう降参昇天
諦めます昇天
って感じ笑
キラキラルンルンで認めたんちゃうよ笑


もう降参って思ったのです。

脱力した感じだったな。



それでね、
感じることをもっと許していきたいな〜
って思ってた時、
ふと思ったんです。
「何を感じてもいいんだよ」は、

「何を感じててもあなたのこ
 と大好きだよ。
 あなたの価値は変わらない
 よ。
 だから、安心して
 いろんなことを感じて
 ね。」
ってことなんじゃないの?って
どんなに惨めでも
情けない程怖がってても
人に言えないような暴言吐いて怒ってても
絶望的にダサくても…
どんな私を知っても、
マルっと受け入れてくれる。
変わらず好きでいてくれる。
あなたの価値は変わらないよ
って微笑んでくれる。
絶対に変わらず、そう在ってくれる。
そういうことなんじゃないの?って。



どんな私も"私"として受け入れてくれる。

絶対にキライにならない。

見下さない。





そう思うと、
すごくほっとして、安心感に包まれたんです。
そして、
これって"愛"だなって思ったんです。
『「何を感じてもいいんだ
 よ」は、宇宙からの愛だっ
 たんだ!』
って、そう思ったんです。
そう思ったら、
「何を感じてもいいんだよ」
に安心感や幸福感を感じることができました照れ
"感じること"にではなく、
"何を感じてても、私の価値は変わらない"
"何を感じてても、愛されている"
ということに、安心感と幸福感を感じました。
だから、安心して感じていいんだ!
そう思えましたにっこり飛び出すハート


宇宙からの愛♡



不快な感情は変わらず不快だけど、
それを感じてても私の価値は変わらない。
感じたくない感情を感じることが
自己否定に繋がっていた私にとって
大きな気付きでした!


ずっとそこにある。

見えなくても、見えてても。

目の前に宇宙が広がってる。

ありがとう♡ありがとう♡ありがとう♡


感じて生きよう♡
生きることを楽しもう♡