今日の朝勤Webでは和尚様から

「もし自分だったらどう思いますか?」

という投げかけがありました。

 

自分なりの答えを探しながら

思い出したことがあります。

 

小さな頃に、母の実家の本棚に

あった本のイラストのことです。

 

何ページかの挿絵があったと思うのですが

記憶に残っているのは、お坊さんが

一本の道を光に向かって歩く後ろ姿の図。

 

細~い道をひたすらお経を唱えながら

黙々と歩いている絵なのですが、

その道の一方が燃え盛る炎で

もう一方が水しぶきを上げて渦巻く大波。

 

菩提寺の教化本だったのか?

母の実家にはもう他の人が住んでいて、

今となってはもう分からないですが、

子どもには強烈なインパクトでした。

 

子ども心にこんなところ歩きたくないよ~

引き返せないのかな…

どっちかに落ちちゃったら大変だ…

水と火の両方をうまいこと混ぜ合わせて

ちょうど良くならないのかなぁ、

…なんて思ったっけ。

 

あの絵は究極というか

誰にも分かりやすいように

強調して描かれているとしても

 

日常的に私たちは選択をしているわけで

その小さな、些細な一つ一つを

しっかり正しく選び行動できてるか?

(細い道のこと)

 

結局、普段自分が選択している

ささやかなことの繰り返しが

炎のコースだったり

大嵐のコースにもなり得るのかも…。

 

中でも最も肝心なのは

その行為・行動は

光の方へ向かおうとしているのか?

ということではないかと思っています。

(お坊さんが必死で唱えているお経)

 

光、というのは

大宇宙・源・大いなる叡智と言った存在。

 

宗教ウンヌンにアレルギー反応があるなら

特に何教とかじゃなく

大きな「神様」でもいいと思います。

 

私たちはその光の一部であり、

今の、今日の行動が果たして

光の存在として適っているのか??

 

それを毎日自問しながら

コツコツと積み上げていく。

 

それを振り返った時に

やっと道ができているのかもしれない…。

 

そんな風に思った今日でした。