今朝のご法話より。
私たちはいつまで「戒定慧」、つまり
自分を戒めて心を据えて見識をおおらかに持つか?
というと、
若くて健康な時だけやったらいいんじゃなくて。
死ぬ間際までですよ~と。
塗香作法からの
「五分法身を磨き耀かす」
「戒定慧」
今朝もやらなかったら気持ち悪く感じるくらい
ずーーっと続け、
今日死んでしまうかもしれない、
という朝も「五分法身を…」
最期まで続けるということでした。
また、
「周囲がすこ~しだけ喜べば、
まあ、生きた証じゃないかな。」
(大きなことをしなくても、その積み重ね。
ちいさな一日一善を続けていくこと)
と言う言葉がとても響きました。
明日はお釈迦様ご入滅の日。
「涅槃寂静」についてもお話がありました。
「涅槃」
は生きていてもその境地に入ることができる。
とお釈迦様は仰っていたそうです。
「寂静」は寂しい・静か、と書くので
なんとも暗くてさびしいような、
そんなイメージを持つ人も
いるかもしれないけれど、
崇高で静かなさまを想像すると良いそうです。
例えば、美術館には自分一人。
目の前には静かに光を浴びている美術品がある。
そんな静謐なイメージなのだそうです。
風のない穏やかな湖面に
静かに丸い月が光っている。
「月輪」(がちりん)という観想も、
おそらくこういうことなのかな、
と思いました。
あ、そろそろ家計簿のこととか
現実面のことも意識して書いて行かなければ。