同窓会に行ってきました。
とても楽しみにしていたので
今月妊娠してなくて残念だったけど
飲める!
…という点ではとても良かったです。

同窓会で久々に会った
仲のいい男友達も昨年結婚して
秋に赤ちゃんが生まれるらしい。
生まれるはずだった私の赤ちゃんと
予定日近い

相手が男だからなのか
私の中で徐々に消化し始めてるのか
聞いてもあまり
動揺しなかった。
(…とはいえ少し嫉妬したけど)


ののは?
と聞かれたので
酔った勢いで
流産したこと、
夏に生まれるはずだったこと、
妊活中なこと、
ぺらぺらと話してしまいました。


そしたら、
彼夫婦も一度流産していて
そこからの今回の妊娠だった事を
話してくれました。

いるんだね、やっぱり。
みんな公には言わないから
「私だけなんで」って
すごく孤独な悲しみだったけど
同じ悲しみを抱えてる人は
意外にたくさんいるんだ。


ののも、きっと大丈夫!
って、ろれつの回らない口で
言ってくれて
嬉しかった。

何が大丈夫なのかわからないけど
具体的になにか言われたら
少しの言葉の綾とか
認識の違いとかに
イラっとしちゃったのかもしれない。

大丈夫だよ
っていう
抽象的な、ある意味テキトーな
そんな言葉だったから
逆にすんなり受け入れられたのかな。

言葉自体はなんでもよくて
言葉はツールでしかなくて
ただ
同じ悲しみを持ったもの同士
相手に幸が訪れる事を願い合う
気持ちが通じあったのかもしれない。
(あ、ちなみに昔恋愛感情のあった相手とかではないです。全くの友達)


私は流産してから
自分自身も過敏になったし
他人に対しても
とても、気を使うようになりました。

赤ちゃんの話
マタニティマーク…
知らないうちに傷つけてることが
たくさんあったことに気づいて
今まで何気なくしてた話も
いちいち考えてしまうようになって。
とにかく迂闊に何も話せなくなってた。

それも、もちろん必要な思いやり
であることには変わらないけど

時には
考え過ぎずに
ありのままの思いをぶつけるのも
アリなのかなって思いました。


言葉自体には
語弊があったり
誤解があったり
行き違いがあったり
することはあるかもしれないけど

心から相手のことを思って話せば
伝わる思いはあるのかも。
それから
相手を信じれば
受け取る事をできるのかもって
思いました。


少なくともわたしは
彼の言葉に元気をもらった!


大丈夫。そう。
何が大丈夫かわかんないけど
大丈夫。きっと大丈夫。


それでいいんだ。


今日は夫が早く帰ってきます。
コウノトリも来てくれますように。