下の娘は、お通夜の時からじんましんを発症し、上の娘は、夜中にうなされ、今朝方38度の熱。

悲しみが落ち着いた頃に、疲れがでてくるんだなあ。
父が亡くなった日の明け方、急に呼吸音がおかしくなり、看護士さんに、「今日は仕事にいかず、そばにいてもらったほうがいいです。」と、言われた。 

6時まで待てずに、5時50分ころに母と兄に連絡。
とりあえず、兄は午前中だけ仕事に行き、午後から早退。私は兄が帰りしだい職場に行き、翌日の打ち合わせをして、終わりしだい帰ってくるということにした。

呼吸は変わらず下顎呼吸。もう、疲れた。といった呼吸音。意識なし。

最期に私とちゃんと話したのが、土曜日かなあ。

退院するはずやったのに、熱が出ちゃって残念やったね。早く熱を下げてね。
と、言うと。

苦しい息の下から、
部屋をあっためておいてくれ。
と、頼まれた。

部屋は、いつでもあったかにできるから、還ってきて欲しいよ。みんな、待ってたんだよ!!
2011年12月01日(木)。
16時41分 永眠

長い間、ブログに書くこともできず、少しずつ介護に疲れを感じはじめていました。
家に帰りたい!!
帰したい!!その思いでがんばってきた日々でしたが、退院を予定していた前日から発熱し、下血し、とうとうそのままになってしまいました。

人の死は、あっけないほど簡単で、前日から病院に泊まり込んでいた私にとって、なんだか、まだ夢を見ているような、ドラマのひとこまのような、他人事気分です。

でも、やはり、父のことを考えただけで、涙があふれて止まらなくなるなあ。

お父さん、お疲れさまラブラブ
よくがんばってくれたね。ぼちぼち、思い出しながらあなたの死を認めていくね。
脳の放射線治療が、もうじき終わる。まだ、手術の跡はふさがらず、切り口が指一本分くらい溝になっていて、じゅくじゅくとして、かなり痛そうだけれど、この治療が終わったら、後方支援型の病院へ転院を。と言われた。

ある意味、丁の良い厄介ばらいのよう。手術から約2ヵ月もこの痛みを引きずって、何の楽しみもなく生かされて。見かけ以上に人に気を遣う父にとって、果たしてこの状況は本当によかったのだろうか?

夏川草介の「神様のカルテ」を読んで、涙がとまらなかった。末期癌を患った優しいおばあさんが穏やかな死を迎える。主治医や看護師さんたちに感謝しながら最期に幸せだったと手紙を残して逝くのだけれど、うちの父はどんな最期を迎えるのだろう。

年とった妻、兄夫婦、そしていつも大切に思ってくれていた私や私の娘たちの行く末をいつまでも案じながら逝かすのは、本当に心苦しい。 

少しでも安心して、癌とむきあい、がんばって戦ったんだとなっとくできたらいいのにな。

でも、誰がなんと言ったって、うちの父は最期まであきらめず、我慢強く生き抜こうとしているよ。

延命治療は無駄かもしれないし、苦しませてかわいそうなのかもしれないけれど、痛みをこらえてがんばっている父を私は誇りに思う