急に寒い。
なので夜勤明けで父に電話
私『寒いので、おでんか鍋食べたい』
父『んっ作っとくよ』
父のお手製おでん美味しかった〜
数日前に、久しぶりに父に私の昔話をしていた。
今回は私が福祉の専門学校で、食事やトイレが出来るだけで褒められる利用者に嫉妬したという話。
そこで父が『あまり褒めたりしてこなかったからな〜』とちょっとさみしげに話していた。
思い返せば母の初めての失踪が末っ子の私が5歳前後。
その後転勤で知人のいない土地に引っ越し。
障がいのある長女
生きづらさを抱えた長男。
まだ幼い下二人。
転勤先のなれない仕事。
誰にも頼れない中で、母の家の出入りもありホントに大変だったと思う。
それでも、
子ども達を手放したくはない。
手放したほうが良いと言われない為には、子ども達に厳しくするしかなかったのだと思う。
でも子どもの頃の私には、
怖くて厳しい父のイメージしかなかった。父に叱られないように、することに必死だった。
父に褒められたくて、必死に頑張ったけどそれが届くこともなく
親子の掛け違えたボタンが少しずつ元に戻り始めるのに何十年もの月日を要した。
きょうだい、ヤングケアラーの啓発する娘の声は父にとっては、
子どもを愛していたのに愛情が伝わってなかったと知ることになりきっとそれはとても苦しかったのだと思う。
それでも私の今の活動や仕事を影で支えてくれていることにあらためて感謝しかない。
ヤングケアラー家庭はさまざま親が子どもに虐待してしまうケースもある。
私の家のようにホントに家族の問題が複合的に絡んでしまいごちゃごちゃの中で、子どもに対して愛情を持っていても、それを伝える余裕がなく、親子の心が離れてしまうケースもある。
先日ハートネットTVでヤングケアラーであることが親が虐待者と思われてしまのではないかと思ってしまう。自分か望むのは、親との関係ではなく今の状況を変えるための第三者の存在というようなコメントがありホントにそうだなと思う。
ヤングケアラー達が、求めていることは一人一人違う。1番してはいけないのが支援する側が一方的に支援内容を決めて介入すること。
子どもだもん。
いっぱい。いっぱい心は揺れる。
昨日言ったことことと
今日話すことが違うこともある。
でもどちらもその子の本音。
その心の揺れに付き合ってくれる大人をヤングケアラー達は探しているのではないだろうか?
型にはめない柔軟な支援が当たり前になるようにしなければならない。