こんばんは知らんぷり

今日は兄が仕事なので、早めに9時半に医療センターに行き病院の転院をどうするかとか話を聞いてきました。
姉と3人で。

食事を経口で摂れないので(誤飲のおそれで)もう最期まで点滴になりそうですえーん

中心静脈栄養型の点滴はしている療養型病院としていないところがある、ということ、
末梢静脈栄養型点滴は母の場合足からなんですが、それも病院によってしているかわからない。
今のところ、この近辺で3つ病院があり、受け入れてもらえるかどうか。
また、元の施設は点滴は出来ないがお見送りまでは看れると。
もう、死ぬのを待つしかないってことよね凝視
ゼリー状栄養まで口に出来なかったら、食べずに死ぬまで寝てなきゃいけないのか、、、
慣れた施設とはいえ、そんな最期も子供からしたら辛い赤ちゃん泣き

とりあえず週明けから、今の医療センターから連絡とってもらい、受け入れ先3つのうちどこかあれば、、、
点滴で生かされる。

兄と駅まで歩いて戻り、私と姉は面会時間までうろうろしたり、お昼食べたりして時間潰し、母に会いにまた病院へ。

起きていて意識はありました。
どうなんやろ、母はガリガリでほんと痛々しかったです。
私は一生懸命大きな声で、耳元で話しかけてましたが。
意を解さぬことを何回も繰り返し大きい声で言ってました。
私達のことは認識してるのかわからないです。
熱はなかったし、腕に出ていたアザみたいに痛々しく見えた老人性紫斑は薄くなってました。

小1時間、母に話しかけたり、姉と話したりして帰りました。

もう「ふうちゃん」て言ってもらえないんやな。

色々後悔することはあります。

生きてるのに、耳も聞こえない、目もしっかり見えない。
誤嚥性肺炎を繰り返すから、点滴から栄養をとり食べる楽しみも奪われて。

まだ、母は子どもら3人がいるからいいけど、これ私がこのようになったら息子1人やから大変やわネガティブ
息子に迷惑かけたくないよね。

ただ生かしておくのが母にとっていいのか、望みだったのか。それは自分がその立場になったらと置き換えて考える大人の気持ち。
反して、ただ生きて存在してくれてるだけでいいと思う子供の気持ちもあって。

これは自分がこうなった時はこうしてと子供に伝えるべきやなとも思いました。
子供なら生きていて欲しいと思うだろうけど、お金もずっとかかるしね、それなら自然に逝かせてもらえたらいいかな。
もう寿命と思ってくれと。
自分で意思を伝えられなくなったら、寿命と思って色々な管は外してくれと遺したいかな、今は。