介護の記録として書き始めたのに、

2番目のブログで書くことではないかもだけど、

祖母が急変して亡くなった。

私といとこが少し目を離した時間だった。

呼吸は止まっていた。

でも、祖母を迎えに来たケア施設の人に、救急車を呼ぶように指示された。

もっと早く気づいていれば。

今も祖母が側にいてくれたのかもしれない、

まだ温かい手で私の手を握り返してくれていたのかもしれない。

そう思うと、後悔と悲しみと、

支えてくれた人たちへの申し訳なさ、

たくさんの ごめんなさい で一杯だった。



救急車の中で、目の前で行われる蘇生のための処置も、

付き添ってくれているケア施設の人の言葉も、

聞こえたり見えたりしているのに、

何も頭に入ってこなかった。


29にもなって、何にも出来なかった。

泣いて動揺して、ただ目の前のことが怖くて震えているだけ。

こんな情けない孫をもって祖母は悲しかっただろう。


おかしな話だけど、祖母が死ぬなんて思いもしなかった。

人間はみんな死ぬ。でも、なぜか祖母が死ぬことは考えてもみなかった。

余命をきいていても、状況を知っていても、

私の祖母だけは死なないとどこかで思っていた。

本当におかしな話だ。

目の前で起こることに、私は何もできずに、

ただ、両親や親せきに連絡し、指示されたところで座っていた。

座っているだけなのに、体ががくがく震えて、

おばあちゃま、おばあちゃまってずっとバカみたいに呼んでいた。


少しして、医師が来て、祖母の蘇生がうまくいかないこと、

機械を止めれば祖母が死亡と判断されること、

その機械を止めてもいいか。そういうことを伝えてきた。


機械を止める=祖母の死。

孫の私には荷が重い決断だし、生きている状態で少しでも多くのおじさんたちと会わせたい。

待ってほしいと頼んで、皆の到着を待った。

父が一番についた。
叔父叔母いとこたちが続々と集まる。

私は、父や叔父叔母たちの顔を見れなかった。

私のせい。

そう思っていたから、申し訳なくて、

皆の顔を見るのがつらい。

介護中に、皆にはお礼を言われたり、任せたよって言われていたのに、

私が目を離したせいで、、、

そう思うと、ごめんなさいっていう言葉しか出なかった。

みんな責めないけど、それが余計に申し訳なかった。



もし、時間を戻せるなら、

どうかあの日の朝に戻して。

転寝なんかしない、

ずっとそばで見ているのに・・・







去年の夏

祖母が急に体の不調を訴える。

倦怠感と、背中の痛み。


でも、

老人には病院はたくさん検査をするじゃない?

毎月エコーをとったり、血液検査をしたり、

負担が1割だからいろんな検査を祖母は言われるままに受けてきた。

どこにもい異常がない。

骨密度もとても高い。

健康そのもの。


祖母はそういわれていた。

主治医は、言葉は悪いけれど、

町のお医者さん。


その病院で調べても異常は見つからないといわれて、

大きな病院も受診してみる。


そして。

1つの異常が見つかった。


すい臓がん。

それだった。

すでに末期。

余命は半年。

そう伝えられた。