私は学生生活の終わり頃、AYA世代の前半で車いすユーザーとなった。車いすの上で生活するなかで、高齢になる★以前に車いすユーザーとなった人のほとんどが、車いすが必要な身になったことや体に不自由さ★をもつこと、★あるいは、それによってひきおこされた★できごとが、「人生最大のつらかったこと」であるように感じられた。

 また周囲も、当時の私のように学生時代などの若年期に車いすユーザーとなった姿をみると、「病気や障害をもっていることが、人生でもっとも大変なできごと」だと思い込んでしまいがちなのだということに気がついた。けれど、犯罪被害者という側面ももつ私にとっての★人生最大のできごとは、ほぼいつも、車いすユーザーとなったことでも、全身に様々な症状があることでもなかった。★犯罪被害によって、★私は★命に触れる★あまりに悲しいできごとを経験したからだ。

 ★私も含めた車いすユーザーの多くは、一度以上は命が危ぶまれる病状を経験している。それは、決して小さな経験ではない。ただ、私の場合は、そのことよりもさらに、犯罪被害者としての経験の方が人生をゆるがしたと、自分自身では感じている。
 だから、医療現場で、私の経過をふり返りながら、「車いすユーザーになって、頑張ってきたと思っているよ」というようなことをいわれると、傷ついた。また、治療の場で初対面から数分も経たないうちに、「車いすユーザーになって大変だったね」といわれれば、「私のことをまだ何も知らないのに……。車いすでなく、私のことをみてほしい」と戸惑った。それらの言葉はもしかすると思いやりの気持ちから発せられたのかもしれないと想像しても、そうした、いわば「誤解」を受けつづけながら患者生活を送らなければならないのだと思うと、少なくとも私には耐えがたかった。
 思いきって、「私にっとって一番つらかったことは、車いすに乗っていることや歩けないことじゃない」と伝えてみたことがある。その時の医療スタッフの方の困惑したような★何ともいえない表情が忘れられない。
 車いすユーザーのよくいる現場でこそ、私は誤解を受けることが頻繁にあった。「車いすユーザーになって、頑張ってきたと思っているよ」。例えばそんなふうな言葉をいったのが医療者の方だった場合、熱心に仕事をして、たくさんの車いすユーザーの患者や家族の言葉に耳を傾けてきたからでてきたひと言かもしれない、とも想像してみたりもした。そしてさらに、「「車いすユーザーになって、頑張ってきたと思ているよ」というような言葉に救われている患者や家族もきっといるのだろうと想像すると、何もいえなかった。けれど私には、「あなたのように車いすユーザーでありながら、病気や障害をもっていることが人生最大のできごとではない患者がいるなんて視野にないよ」といわれているような気持ちになってしまい、苦しかった。
 そうしたできごとも、3日だったら耐えられる。3か月でも耐えられる。3年でも耐えられるかもしれない。けれども、「ずっと」は無理だと思った。急性期ではなかったとはいえ、治療をあきらめて、通院をやめてしまった医療施設もある。ただ、比較的低年齢で乳がんに罹患して、その診断前に息子さんが命にかかわる犯罪被害を経験した女性★はいってくれた。★「気持ち、わかるよ。私も、(★)『がんになったことが人生で一番大きなできごと』と話す人たちばかりの病室は、病気の何倍もにつらいから」。
 AYA世代やそれ以前★等で車いすユーザーであることもマイノリティーかもしれないが、車いすユーザーとなったことが人生最大のできごとではない私は「マイノリティー中のマイノリティーではないか」と、患者としての将来に不安に覚えた。そして次第に、その不安は、「私はなんてダメな患者なのだろう……」という思いへと変わっていった。「マイノリティー中のマイノリティー」のひとりとして苦悩する度、★心の支え★がほしい、と切に願った。
 そこで、すぐにできることとして、「車いすユーザーとして嬉しかったできごと」などを日記につづりはじめた。つまづいた時に読み返せば、自分を支えてくれると考えたからだ。私は、今を生きながらも思い出を心の支えにするタイプだった。日記をつづるだけでなく、車いすに乗ってでかけると、ちょっと不自然なほどに何枚もの写真を撮影した。「車いすの上で経験したよかったことや楽しかったことを記録しておかなくちゃ」。そんな気持ちだったのを覚えている。もっとも、当時から女の子たちが様々な場面で写真を撮ることは流行りはじめたのだけれど。
 ただ、患者であるとともに!犯罪被害者でもある私だったから(、←読点一旦抜く?)できたのかもしれないこともある。音楽に詳しくないながらも歌詞をつくった。

 それにはきっかけがある。病院の中や犯罪被害当事者イベント会場ではよく、学生等のボランティアの方によってコンサートが披露される。けれど、いのちに大きく触れるできごとを経験した人たちの集う場では、多くの人に知られる童謡「ゆうやけこやけ」でさえ、懐かしい思いで聞いている人もいれば、夕暮れの空が頭に浮かぶだけでつらくて★涙がこぼれるという人もいる。犯罪被害者週間のイベントで、ブラスバンド部の高校生が世代を超えて好まれている未来を歌った楽曲を演奏した時も、「私の息子は未来を失ってしまった」と、しばらく顔をあげられずにいる女性がいた。

 私自身には心の支えにしてきたミュージシャンがいたからこそ、音楽や歌詞に傷つく人がいるのは悲しく感じられた。音楽が流れるなかで複雑な思いを抱く人を何度かみかけるなかで★思うようになった。「魅力的な歌は世の中にあふれていても、どんな状況の人にも受け入れられる歌は、そう多くはないのかもしれない。だったらつくりたい」。(での後、読点もなし)

 とはいっても、楽曲はおろか歌詞をつくった経験など私にはない。それでも、歌詞制作にかんするアイデアだけは頭にあった。「歌詞に傷ついたり戸惑ったりした経験のある人、それから★伝えたいことのある人から短文を募集し、それらをつなぎあわせて歌詞を制作するのはどうだろう……」。歌詞は、声かけによっていろいろな人から集まった。すべての診療科のこどもや大人の方、そのご家族やご友人、病院の清掃員の方やボランティアの方も含めた医療現場やそのそばで働く方、様々な理由で大切な人や暮らしを失った方、グリーフをもつこどもや大人に向けた活動をしておられる方、あたたかい医療や社会をつくっていこうと考える方……。私のような犯罪被害者(やヤングケアラー経験者)の方が、自分自身の日記の一文を寄せてくださったりもした。

 歌詞のタイトルは、この世で過ごすいのちにも、天国で過ごすいのちにも感謝をこめて、「Thank you for your life」。寄せられた短文などを眺めていると、自然と浮かんだ。後にあたたかいメロディーをつけていただいて楽曲化された「Thank you for your life」の歌詞は、このあとがきの終盤部で紹介したい。ちなみに、歌詞づくりには、メディアでは取りあげられにくい皮膚科やこどもの精神科を経験した患者の方、幼い頃からうまくいっていなかった家族が闘病の後に旅立ったという方も参加してくださった。

 私にはもうひとつ、音楽にかんする夢がある。「ずっと心の支えにしてきたロックバンド X JAPANのリーダー、YOSHIKIさんと(リモートでつながって)曲かメロディーをつくりたい。その曲かメロディーを、周囲の人や、例えば★日記に登場するような街の中などで助けてくれた見知らぬ人、それから、天国にいる大切な人に聞いてもらうことで、感謝を伝えられたら……」という夢だ。夢の実現のために、思春期の頃、「難病のこどもの夢をかなえるボランティア団体」を紹介されたが、ヤングケラーとして育ってきたため、自分のしたいことを大人に伝えることははばかられた。だが最近になって、成人等の患者の夢の実現をサポートされている広島国際大学内の「難病プロジェクト」の方々との出会いがあり、今、夢をかなえるべく一緒に歩んでいただいている。もしご尽力いただいてなおかなわぬ夢だとしても、私はその夢を、患者であるとともに犯罪被害やヤングケアラーを経験した者として大切にしていこうと思っている。
 歌詞を紹介する前に、私の日記を書籍化しようとお声かけくださったクエーサー株式会社の寺本さん、「本書が単なる車いすユーザーの日記集にならないように」と、犯罪被害者(やヤングケアラー経験者)としての思いも丁寧に取材し、冒頭の文章を書いてくださった合田さん、私の夢や本書を大切に思い、メッセージを寄せてくださった広島国際大学の田川さんならびに難病プロジェクトの皆さん、一度は中断せざるを得なかった私の出版にドネーションでご協力くださった方々、医療スタッフとして支えてくださった方々、紆余曲折あった私を見守りつづけてくださるなどした友人知人はもちろん、これまで出会ったすべての方々に心からの感謝をしています。


【歌詞】Thank you for your life


窓の外や白い壁を見ただけで悲しくなる日もあるけれど
けれどその分 知っている
差し出されたドリンクのあたたかさ

「元気にしてる?」 そんな問いにさえ答えられずにいる今だけど
ここにいることの幸せ となりにいてくれたことの幸せ

元気ないのち 病のいのち 空の上のいのち
どのいのちも同じように大切で

今悲しんでいる人 今喜んでいる人
手をつないでみようかな
ともに歩んでみようかな
やわらかく優しい世界求めて

Thank you for your life
Thank you for my life

あなたのためにほんの少し わたしのためにほんの少し
小さなギフト与えあえたら

Thank you for your life
Thank you for my life

会えない人とも手をつなげる 会えない人ともつながれる
街ゆく人は先を急いでも
今を感じよう ただひたすらに


悲しむ背中 きっと誰かが見てくれていて
そっと勇気を与えてくれる
だから助けを求めてみよう
きっと味方はいるから

ピエロのようにナミダ隠す日もあるけれど
ピエロのように笑顔くれる人もいる

日記につづった悲しみと
日記につづった喜びと
一緒に見た景色 ずっとずっと覚えているよ

Thank you for your life
Thank you for my life

言葉に安心させてもらったこともあったけど
話せなくても伝わるよ

Thank you for your life
Thank you for my life

雲のように流れるままに今を過ごして
いのちの色 感じながら

Thank you for your life
Thank you for my life

いてくれただけで十分幸せ いてくれるだけで十分幸せ

Thank you for your life
Thank you for my life

街ゆく人は先を急いでも
今を感じよう ただひたすらに

 最後に、犯罪被害者であっても、(ヤングケアラー経験者であっても、)どんなに大きく困難な経験があっても、その経験を抱えながらも患者生活を送らなければならない人もいます。なにも大きなできごとをいくつも経験したからといって不幸だとは思ってはいません。ただ、そうした人も含めて、どんなふうにすればみんなが過ごしやすいのか、かなう範囲で一緒に考えていただけると嬉しいです。これからの医療現場や社会全体のために……。

 犯罪被害に遭ったこどもをアイドルグループのコンサートやその楽屋、スポーツの試合会場に招待したり、犯罪被害に遭ったこどものいる家族の旅行のサポートをしたりといったチャリティー活動を国内でもみかけるようになり、もちろん犯罪はおきてはならないことながら、そうした動きが広まることも願いのひとつです。