雛祭り

ちらし寿司をつくった。


"あるもんで"

やった。なかなか地味だ。


味はそれぞれバラバラでまとまらなかったけれど、
木桶をだして、
おばあちゃんを手伝った日のことを思い出していた。
胸があたたかくなった。
夫にもらった銀杏の木のりょうりべらも降ろした。そうか降ろすというのは
希望してたものをうけいれて、
それを開封するということなんだ。


そうだ。
と、
さきに自分は食べてしまったあとだったけれど、
3人へお供えした。
お父さんの表情がいつもよりも明るくて
おじいちゃんは特に誇らしげに光っている。
おばあちゃんはいつもよりももっと桃色のやさしい顔をして見えた。

みんな自分なりのやり方で道を歩こうとしているわたしが誇らしいみたいだった。

おじいちゃんはよくみると、
大きな耳や口や、目など弟のそれに似ていると気づいた。
この家系の男が彷徨いがちな深い谷も、
わたしがみちをみつけたことで、
弟のちからにもなったそうだ。
弟の心強いお嫁さんがいるし、
もう大丈夫だそうだ。
彼らにもできる範囲で礼を尽くして去りたいとおもう。

さいごに、3人の写真をもっていくようにいわれた。
写真たてを入手して、
新しい家庭の中にも、神様とはべつの祭壇をつくり、節句のあるときにつくった料理を供えるようにいわれた。
わたしもそのほうが嬉しい。

わたしはことし、自分のペースとやり方をつかまえようとしている。

はじめは食べ方と作り方のリズムをつかむことだった。
つぎは、なんだろう。
掃除のペースはやっぱり初めは天井天一にならって集中してやることで、要領をつかみ、土台を築きながら
慣れていくといいということだった

わたしは穏やかに変わろうとしている。
その足音が聞こえる。
亡き父と祖父母のあとに重なるように。
倍音のように。

私たちがまず社会に対して発するまえにに打ち鳴らすことのできるドラムは
民族や家族の伝承の習慣や、自己の内側の深いそのリズムにある。
自分の体に従えば、血に染み込んでいるそのリズムは、自然に整えられてくるのであり、
また、旋律は心から湧き出てくるものなのだ。

自身の旋律を奏で地球の交響曲に参加するためにまずは自分自身をチューニングすることなのだ。
それが、六室の。あるいは1から六室までの本質である。

今日は、オーガニックコットンの春のニットが送られた。
一度も農薬が使われたことのない農地で育った綿だそうだ。手紡ぎの糸で編まれてある。
これを手に。
これから農薬の一度も使われたことのない農地は、わたしたちに解放されるだろう。
そしてわたしたちは、わたしたちの手で、育てた花たちを摘み、物語を紡ぐだろう。