終戦記念日、穏やかにお盆を過ごせるしあわせ | 網走のうさこのブログ
1945年、昭和20年8月15日。
ラジオから、昭和天皇による終戦の詔書が流れていたといいます。
ラジオの前で背筋を正し、静かに耳を傾ける人々。
「耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す」
日本が戦争での敗北を認め、堪えがたい苦難に耐え、我慢できない悔しさをこらえ、これからの永遠の未来のために平和な世界を築いていこう――。
そんな意味が込められた一節は、歴史について決して詳しいわけではない私の胸にも、強く刻まれている言葉です。
そして、この言葉を思うと、今でも胸が痛くなる瞬間があります。
今日は父と母と一緒に、大空町東藻琴へお墓参りに行ってきました。
網走はお盆が7月ですが、大空町東藻琴は8月。
東藻琴から近い女満別の開陽グリーンマーケットさんへ、朝早く立ち寄りました。
今年もすぐに売り切れてしまいそうな、とても綺麗で立派な仏花が、1束100円。
もぎたてのとうもろこしも、1本100円。
立派なスイカを800円で購入し、セロリ、人参、長ネギ、ブロッコリー……ほとんどのお野菜が100円で販売されていました。
こんなに丹精込めて育てた作物を、こんなにありがたいお値段で。
ありがたすぎて、申し訳なく思ってしまうほどでした。
お花を持って、お供え物を持って。
1年ぶりに、祖父母やご先祖さまが眠るお墓へ向かいました。
父方の実家のお墓には、
私が生まれた年に、元気に生まれてくることができなかった女の子が眠っています。
すぐ近くの本家のお墓には、父が生まれる前に、
若くしてルソン島で戦死した叔父さんが眠っています。
そして、戦中、この時期にまだ10歳にもならないくらいの年齢で亡くなった、
父の叔父にあたる方もいます。
栄養状態が十分ではなかったのか。
十分な治療を受けることができなかったのか。
詳しいことは分かりません。
けれど、墓標に刻まれた名前や年齢から、戦中という時代の過酷さを感じます。
終戦は昭和20年。
父は、それから7年ほど後に生まれています。
祖父母は、戦争を経験してきた人たちでした。
でも、私は祖父母から戦争の話を聞くことができませんでした。
祖父母が、あの過酷で残酷な現実を思い出すことが辛くて話さなかったのなら、それは仕方のないことだったと思います。
無理に話してもらうことなんて、できません。
でももし、私がもっと興味を持って話を聞いていたら。
祖父母が話すきっかけを、私が作れていたのだとしたら。
そう思うと、申し訳ない気持ちになります。
できることなら、あの頃に戻って話を聞きたい。
歴史を巻き戻して、もう一度聞くことができたら。
そんなことを思ってしまいます。
祖父母は、私たちの親や子ども、孫とともに戦後を生きた人々です。
けれど同時に、
戦前を生き、
戦中を生き、
そして戦後を生きた、一人の人間でもあるのです。
あなたたちが頑張って、
耐へ難きを耐へ、
忍び難きを忍び、
生きてくれたから。
今の私たちの幸せがあります。
おじいちゃん、おばあちゃん。
ありがとう。
会いたいな……🥲
今日、父と母と一緒にお墓参りをして、
お花を供えて、
お供え物を置いて、
家族と穏やかに過ごしたお盆の一日。
そんな何気ない一日も、
平和であることの大切さを、静かに教えてくれているような気がしました。
戦争が終わってから81年。
どうかこれからも、
戦争を知らない世代が、
戦争を知らないままでいられる世界が続きますように。
そして、
家族と笑って過ごせる毎日が、
当たり前の幸せとして続いていきますように。
2026年8月15日
終戦記念日に。