これからはのんコラムという名前で
思いついた時にコラムを書いていこうと思います📝
もちろんお店のことやおすすめアイテム、
美容のことも書きます。
さて今日はおやすみだったということもあり、
1日中家に篭っていました。
朝から晩まで世界の音楽のアカウントを見て、
聴いて、読みたかったものや、Netflixのリプリーの最終話をみました。
リプリーは白黒ドラマ(元はマットデーモンで映画もある)なのですが、やっぱり白黒はフィルムだななんて思いながら最初から最後まで観たわけです。
私はずっとアナログなフィルム写真を長年使っていました。
あの時代(もう10年以上前)はまだまだデジタルの技術がフィルムには追いついておらず、
コダックのフィルムを何十本も鞄に入れて課題に取り組んでいたのです。
(この話すると脱線するのでまたの機会に)
でもこの10年でデジタル技術はあっという間に進んでいき、フィルムの生産も終了。
そして白黒写真(フィルム)なんてもう幻のような存在になりつつあります。
白黒写真とカラー写真、
どちらが好きか論争なんて昔はよく話したりしていたのですが、
やっぱりデジタルの白黒って全然ダメじゃんƪ(˘⌣˘)ʃ
と今回リプリーを観て改めて思った訳なのです。
色が浅い、そしてあれは私から言わせてみれば白黒じゃない。
ところで白黒といえばこの間ロンドンのナショナルギャラリーで見たこのレンブラントの絵に心を奪われました。
少し映り込んでいますが悪しからず。
すごすぎませんか、、、レンブラント。
完全に心を持っていかれました。
光と影の画家といわれるレンブラント。
まるで目の前にこの景色があって、今にもピアノの音色が聴こえてきそうなほどです。
影の中にあるもの、光に照らされて浮かび上がる情景。
素晴らしい、、、
ところで今日は白黒フィルムの話でもなく、
レンブラントの話でもなくて、
私の敬愛するトムフォードについて書こうと思っていたのですが、話が全くそれてしまいました。
ファッションの第一線から退いたトムフォードは今何を考えていて何をしているのだろうか?
なんてことを考えることがあります。
トムフォードは私が同じ時代に生きられることを
心から嬉しいと思っている一人です。
歴史上、過去の人たちには素晴らしい偉人やスターが沢山います。
でも同じ時代を生き、
(もちろん近くにも同じ地域にもいませんが)
その人が生きている今日という日に自分がこの世界に存在するということは0.000000001%でも、
奇跡が起きたら会える可能性があるということです。
そんなミラクルが起きることはなかなかありませんが、それでも生きている限りはゼロじゃない。
だからこそトムがこの世に存在する限り、
楽しい空想にふけったりして胸を躍らせる事ができるのです。
さて、そんなトムの近況はどうやら人生の最終章について考えているそうです。
人間ってなんか、私の体感というかいつも感じることがあって、人は60歳になると「人生の終わり」というのを意識し始める気がします。
自分の人生がどうだったのか?
この先の人生でなにができるのか?
がむしゃらに生きてきた人生の中で、
一旦立ち止まって考える時期のようなそんな気がします。(まだ60歳になった事がないので想像ですが)
人生が80〜100年なんだとした時、
20歳くらいまでは自分の意思じゃなくてとりあえず体が大人になる時期でありそこまでは人任せな時間です。
20歳からとりあえず脳と身体が定着し始め、
そこからが自分の人生の本番だとした時に60歳までは40年あります。
その40年を60歳で振り返った時、
同じように人生の様々な変化やイベント、
勢いや気力•体力が次の40年ではなかなか難しい。
会社員なら65歳が定年退職だとした時に、
そこからの自分の人生というのは「どうしたらいいのか?」なんていう漠然とした恐怖心みたいなものが湧いてきたりするわけです。
またトムのような時代や世界を席巻してきた人なら尚更です。
「自分に残された時間の中で一体なにができるのだろうか?」
なんてことを考えるわけです。
同じ時代を生きた素晴らしいデザイナーや仲間が一人また一人といなくなり、
そして大切な大切なパートナーが亡くなってしまったトムはきっと今までの【トムフォード】というイメージの中で生きてきたトムではなくなってしまったんだろうな。
なんて事を感じました。
スターや偉人は自分のために生きるということが難しく、あの大スターであるトムフォードの孤独や苦しみを横で優しく見守ってくれたリチャードはもうこの世にいない。
今トムはどんな日々を生き、どんな気持ちでいるのだろうか。(息子さんがいるのでそこは安心)
考えただけで胸が苦しくなります。
人の死というのはちょっと前までの私は、
「みんな乗り越える事ができているんだ。すごい」
と思っていたのですが、これは大きな間違いだということに気がつきました。
誰も乗り越えているわけじゃない。
故人のことは忘れてしまうわけではなく、大切にしまっておくんだ。
そして死というのは、悲しいのではなく、『寂しい』んだ。
ということを知りました。
死んでしまうということは、
もうなにも共有する事ができなくなります。
そしてもう二度と思い出を増やす事はできません。
なんてことなのでしょう。
生きている者はただただその寂しさを背負い、
また来る今日という日を生きねばなりません。
その中で葛藤し、奮い立たせて生きる。
私はなんの話を書いているんでしょう。
重過ぎます🥹
ということでなんだか暗くなってしまったような気もしますが、今日は春の雨です。
今年の桜は私にとって特に特別でした。
人生は続いていく。
だからこそ、当たり前は当たり前ではなく、
今ある幸せを振り返り、
絶対に止めることのできないこの時間の中で何が出来るのか。
ちなみに女性は更年期障害が終わる55才以降が、
体が本調子になって(骨粗鬆症には気をつけて)
思いっきり楽しめる時間の始まりだと私は思っています
皆様にとって今日が素敵な日、
そして素敵な出会いがありますように。
ここまで読んでいただきありがとうございます💖
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