娘が産まれた。

 

私は通常出産2週間前(だっけ?)にやめるはずのアスピリンとヘパリン自己注射を

出産当日までしていたため、出血多量で貧血がひどかった。

それとおなかの傷もなかなかに痛かった。

お見舞いに来てくれた家族や看護師さんやドクターと話すのもつらくて

うん、とか、はい、とうなずく度に貧血で頭がグワングワンしたのを覚えている。

お見舞いはひたすら、早く帰ってほしいしか頭になかった。

本当にきつかった。

 

出産当日は娘に会えず、

翌日も正直まだ会える気分ではなかった。しんどすぎて。

しかし義父が「会ったの?会いにいけば?」

とか言うので、辛さを説明できず(ろくにしゃべれないくらい辛すぎて)

娘のいるNICUへ会いに行くことになった。

 

主人に車いすを押してもらって、NICUへ。

初めて会った娘は、めちゃめちゃ苦しそうだった。

高校の時解剖したカエルにそっくりだった。薄くて小さくて、あちこち管につながれていて、

真っ暗な中で何かの赤いランプが点いていて、薄い胸が激しく上下していた。

可愛いという感情は湧かなかった。

ただ、苦しそうだった。本当に苦しそうだった。

これが私のおなかにいた赤ちゃんなんだ、と、他人事みたいに感じた。

主人から、「5日間が山場だって」と聞かされた。

この頃は、私には説明せず主人に説明したことが多かったみたい。

 

おっぱいを絞って毎日持っていった。

最初はあまり出なかったけど、それでも出るほうだったらしい。

そのうち大量に出るようになってきて、タオルに含ませて廃棄しようとしているところを

看護師さんに見られ、

「出産したばかりの黄色いおっぱいは栄養がいっぱいだから、

捨てないで冷凍したほうがいいよ」なんてことを教えてもらった。

廃棄しまくっていたよ。早い段階で見つかってよかった。

突然の出産だったものだから、知らないことばかりだったのだ。

 

そして、名前もまだ全く決まっていなかった。

産後2週間以内に名前を届け出なくてはいけないから、めっちゃ焦った。

 

「4月だから『さくら』に漢字をあてたいな」とか思ったりしていたけど、

1月生まれになってしまったのであえなく却下。

大変な出産だったから、名づけは私の一存でよいと主人が言ってくれ、

「美な海(みなみ)」にしよう!と決めたのだが、

主人が大反対して大ゲンカになった。

 

今思うと反対してもらってよかった。笑

大変な出産だったけど、それでも産後ハイになっていたのかな(*ω *)

 

主人も大賛成するいい名前を思いつき、それに決定。

無事2週間のリミットに間に合った。主人が役所に届け出に行った。