はりまや橋は
播磨屋崇徳と
櫃(ひつ)屋道清の
豪商の両家を
堀川に橋を架けて
往き来した橋が
名前の由来らしい

江戸時代終盤の絵巻物のはりまや橋


横浜の十字路桂浜側に
播磨屋崇徳の墓と
書いてあったので
目の前の丘に上ってみると
播磨屋家の文字が
見えるモノの
墓とは違いました
竈戸(かまど)神社は
播磨屋九郎左衞門の持ち山の
端に移転と書かれてあります




播磨屋崇徳さんが
南学の祖
「谷時中」から
譲り受けた土地の一部かも?

肝心の墓の在処は
何回か探して
やっと見つけました
横浜小学校の通学路に
案内板が
隠れる様に立ってました
一族の墓地も隠れてます







長曽我部元親さんが
讃岐出兵の時
兵糧を調達した功績で
土佐に招かれ
浦戸に住んだ
と書かれてます

【風詩】
崇徳さん

仲良しこよしの

櫃(ひつ)屋さん


崇徳さんの墓から
高知市に向かって帰る途中の
小さな港(舟溜まり?)


旧道を通って
新道へ出る手前に
案内板


播磨屋崇徳さんに
新田開発した土地を
売って息子の学費に充てた
谷時中の墓
80メートルの距離を
136段の石段で上ります





そして下ります😃


手すりが有るので
何とか下りる事が
出来ました😅



スーパー半額の晩飯




【風詩】
南学の

礎築く

資金源

因みに弟子に
野中兼山が居る様に
土木工事の知識も
南学の中に有る様です